「藤原氏の1300年」京谷一樹(朝日新書) | 乱読家ぽちんの独り言

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【『はじめに』より引用】

多くの人は、藤原氏が栄えたのは平安時代半ばまでで、その後は院政と武家政権にとって代わられたと思うかもしれない。だが、藤原氏は武士が天下を掌握した七百年の間も、全盛期に築いたブランド力によって命脈を保ち続けたのである。ある者は、幕府との間に太いパイプを作り、朝廷内で摂関を超える絶大な権力をふるった。荘園からの収入や特権を失い困してもなお、学問や芸術によってステイタスを保つ者も少なくなかった。藤原氏の人々は経済的に追い込まれても、文化の担い手としてのプライドをもち続けた。

近世では、多くの大名家がステイタスを高めるために、五摂家など藤原氏の名門貴族と積極的に姻戚関係を結んだ。そして幕末の動乱期には、尊王攘夷運動の高まりと江戸幕府の弱体化を背景として、ふたたび政治の表舞台に躍り出る。明治から昭和期にかけては華族として遇され、政財界に君臨し、元老や内閣総理大臣まで輩出したのである。

【引用終わり】



「中臣鎌足に始まる藤原氏が、奈良時代に確固たる地位を築いていったプロセス」

「平安前期、北家が藤原氏の主流となり、摂関政治が確立された背景」

「藤原道長の御堂流を中心として、摂関政治の全盛期を彩った人々」

「上皇が政治を行う院政と、武家政権の成立により斜陽期に入った藤原氏」

「公家社会がもっとも低迷した室町・戦国時代の公家たちの生きざま」

「大名家との婚姻により経済的な安定を保った江戸時代」

「幕末を経て息を吹き返し、政治家あるいは華族として近代を生き抜いた人々」などなど、中臣鎌足から始まる、藤原氏の1300年を追う本です。


藤原氏が栄えたポイントは、

●天皇のミウチであり、臣下であるという立ち位置

●政争を巧みに利用して自己の権力を固める

●上級貴族の特権を最大限に活かす

●他氏を圧倒する経済力

●武士には抗うことの出来ない文化・芸術の力。。。



伊藤、近藤、遠藤、藤井、藤本などの苗字は、藤原氏の地筋の場合もあるとのこと。そうおもうと、周りにいる●藤さん、藤●さんが高貴な人にみえてくる(思い込み?)



「藤原氏の1300年」京谷一樹(朝日新書)

【5月15日読了】

【オススメ度★★★】