「悪口はどうして悪いのか?」
「どこからどこまでが悪口なのか?」
「悪口を言うことはなぜ面白いのか?」
の三つの問いから悪口を、哲学、言語学から考える本。
⚫︎本書の悪口の定義は「誰かと比較して人を劣った存在だと言うこと」。「人を傷つける言葉」「悪意を持って言葉で攻撃すること」という常識的な定義では無い。
⚫︎悪口以外の言葉でも人を傷つけることはある。人を傷つけることは悪口の十分条件では無い。また、人を傷つけることは、悪口の必要条件でも無い。人を傷つけるから悪口が悪いわけでは無い。
⚫︎悪意は悪口の必要条件でも十分条件でも無い。
⚫︎悪口の怖さは、悪口を放置すると他者からのランクが下がること。悪口は、「標的が自分よりもランクが下だ」ということ。
⚫︎身長、テストの点数、給料など、事実関係のランキングを、優劣のランキング、存在のランキングにしてしまうことが問題なのである。事実関係を評価することと、尊重する・しないを混同してはならない。
たとえ人を傷つける言葉であっても、言うべきは言うことが必要である(例えば、叱る時や、自分の正当な権利を主張する時など)。
しかし、僕の場合、共感力が人一倍強いからか、「他者を傷つけてはいけない」という感情を強く持ってしまい、「叱るべき時に叱れない」「自分の正当性を主張出来ない」ことがよくある。
他者を傷つけるくらいなら、自分が傷ついていること、自分のが不当に損をしてしまうことを選んでしまうのだ。
僕自身が人としてのランクが低いと思っているところがあり、ランクが低い僕が不幸になるのは問題無いと自分に言い聞かせているのかもしれない。
なので、そんな僕を少しでも尊重してくれる人がいたら、すぐに信用してしまい、「腹黒い人たち」に騙されてしまう経験も多々ある。
その結果、子供のしつけや、組織のマネジメントなど、この僕の弱点がものすごーく悪い影響を与えているなぁと感じる時が多い。
それは、家族や仲間たちを結果として不幸にしているわけで、、、
僕は、特に男性としてのランク(容姿、男らしさ、体力など)、知力のランクは、他者よりも低いと思っているので、この点で悪口を言われてもあまり傷つかない。
しかし、僕の唯一の取り柄は、「人柄」だと勝手に思っているので、僕の人間性や性格を批判されるととても傷ついたり、絶望して死にたくなる。場合によっては、その人に憎しみを抱いてしまうこともある。
(思えば、ずっと憎しみを捨てきれずにいるのは、僕の人間性を否定してきた人、さらに僕を犯罪者のように扱った人であった。おそらく、来世でも憎しみは消えないと思う)
というようなことを内省しながら読みました。
僕にとっては、しんどい本でしたが、、、オススメします。。。
「悪口ってなんだろう」和泉悠(ちくまプリまー新書)
【1月7日読了】
【オススメ度★★★★★】