西国街道を歩く(37)耳原公園と耳原古墳 | 乱読家ぽちんの独り言

乱読家ぽちんの独り言

乱読とまち歩き、青山繁晴さんが好きなおじさんです。
コメント、フォロー、リブログはご自由に。
ただし、議論目的のコメント、意見の違いを尊重されないコメントは公開しません。

「西国街道」とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻等、淀川右岸を通り、大坂を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路のことで、京都から西宮までのルートは別名“山崎通”とも呼ばれていました。
令和5年は、神戸三宮から京都(東寺口)まで歩きます。


↓ウォーキングマップはこちら↓
https://www.rekishikaido.gr.jp/aruku/saigoku/



北茨木名店街
こういうところは、とても気になりますね(笑)


3度目かな?勝尾寺川を越えて


「白井河原合戦跡」
1571年にのちの茨木城主・中川清秀が活躍した合戦。反織田勢と織田勢が戦いました。


合戦場跡の上に墓地が広がっていました。戦死された方を祀っているのでしょうか?


耳原公園。しばし、休憩



鼻摺古墳(耳原方形墳)。一片の長さが33メートル、高さ5.5メートル。


耳原古墳と耳原遺跡。
発掘調査をしているのでしょうか?付近一帯はフェンスに囲われて中が見えなくなっていました。
https://www.educ.city.ibaraki.osaka.jp/rekisi/kofun-iseki/minohara/minohara.htm


さて、西国街道を進みます。


妙法山 法華寺。日蓮宗のお寺のようです。


阿為神社 御旅所。


進みます。



小さな石標がありました。
右 茨木停車場
左 石川見山


名神高速の下をくぐって。



続きます。