「日本建国史」小名木善行(青林堂) | 乱読家ぽちんの独り言

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【『はじめに』より引用】

人の世というのはおもしろいもので、すべては「ないものねだり」です。ボスが威張り、支配していて、とてもじゃないけれど民主的でないような国では、民主主義が求められ、これが理想とされます。支配者が君臨して生殺与奪の権を握り、民衆がおびえて暮らさなければならない国では、共に助け合って生きる共産主義が求められます。自由がないから自由主義が標榜されるし、愛国精神がないから愛国主義がうたわれます。同様に日本では、日本列島が古来、天然の災害の宝庫です。地震はやってくる、台風は毎年やってくる、津波がやってくる、ときどきは火山の大爆発まで起きたりします。そしてひとたび災害に襲われれば、たとえ生き残ることができたとしても、それまで築いた何もかもが失われることになります。

では、そうした国土にあって、どうしても手に入れることができない坂の上の雲とは、どのようなものでしょうか。それが「人々が豊かに安全に安心して暮らすことができる国」です。ですから日本は古代からずっと、そのための国作りが行われてきました。

【引用終わり】



⚫︎世界最古といわれてきた8000年前のシュメール文明。しかし、日本ではそれよりもはるかに古い11万年〜12万年前の旧石器時代の遺跡、3.8万年前の新石器時代の新石器時代の遺跡が見つかっている。

3.8万年前の遺跡の石器には伊豆半島から海上57キロメートル先にある神津島でしか採れない石がつかわれていた。日本人は、すでにその時代から海洋航海をしていた。


⚫︎4500年前に地球か寒冷化したため、日本で熱帯性植物の稲を育成するために、雨期を演出する田への水張り、乾季を演出する田の水抜きという日本独自の稲作を始めた。稲作が中国から朝鮮半島を経由して日本にもたらされたという説には無理があり、また朝鮮半島北部で稲作が行われていたことを示す遺跡は見つかっていない。


⚫︎縄文弥生という区分は、GHQにより神代教育が否定されたために、戦後に新たに創設された時代区分である。縄文人と弥生人の別民族説は根拠のない虚構。また弥生人のDNAは、朝鮮半島の人たちのDNAとは全くつながらない。

むしろ稲作も古墳も土器も人も、日本から朝鮮半島に伝わった。


⚫︎神武天皇の「神武東征」は、東の地域を征服していったわけではない。「征」は「正しきを行う」の意味で、東へ稲作を広めながらの移動していった。


⚫︎2500年前の崇神天皇による手水舎の設置以降、疫病による大量死が無くなった。


⚫︎税は天皇や権力者を富ますための制度ではない。災害時に国民を食べさせるための備蓄制度。


⚫︎仁徳天皇は、上町大地の東側の巨大な沼地を抜き、広大な農地として開発した。


⚫︎聖徳太子の十七条憲法が主張するのは、単に仲良くするのではなく、上下で心を一つにして「ちゃんと議論をして問題を解決しよう」ということ。


⚫︎二度と日本に内乱が起きないことを願って持統天皇は、歴史教育の為の日本書紀と、文化の創造のための万葉集の編纂を始めた。教育と文化による国民国家の再構築が女性天皇によって成された。



太古の昔から鎌倉時代まで「豊かに安全に安心して暮らすことができる国」を大切にし、守ろうとした歴史を書かれています。



小名木善行さんのお話はとてもわかりやすく。そして、日本人として生まれてきたことに誇りを持てるようになります。

日本をかっこよく!


 


「日本建国史」小名木善行(青林堂)

【5月20日読了】

【オススメ度★★★★