レイチェル・ヒストリー♪① | Some people change your life forever.

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キャロル、ケイト、ルーニー& レイチェル、ディスオビディエンス

元号が「令和」に変わった記念?に、大好きなレイチェルの軌跡をまとめてみたいと思います♪


(Wikiやレイチェルのインタビュー記事などから得た情報を元に書いていきます。)

 


レイチェル・ワイズ

Rachel Hannah Weisz

 

ワイズではなくヴァイスと発音するのが正しい。
日本ではワイズで知れ渡っていますもんね^^;


1970年3月7日にイギリス・ロンドンのウェストミンスターで生まれ、ハムステッドガーデンサバーブという住宅地で育つ。(現在は高級住宅街として知られる場所)

 

 

父親 George Weisz (1929~)はドイツ・ハンガリー生まれのユダヤ人。発明家で、空気を圧縮して機能させる人工呼吸器などを発明した。
母親 Edith Ruth (193~2016)はオーストリア・ウィーン生まれで心理療法士として働いていた。2016年に他界されているようです。

どちらも子供の頃にナチスから逃れるため、第二次世界大戦が始まる少し前に家族でイギリスへ移住した。

家ではご両親はドイツ語でも会話をされていたそう。

 

2つ年下の妹ミニーさん(Anna 'Minnie' Alexandra Weisz)は写真家でアーティスト。

 

 


小さい頃は活発なおてんば娘で、近所の公園で妹さんと一緒に木登りばかりしていたそう。

10歳の時、学校の劇“不思議の国のアリス”でレイチェルが演じたのはセリフのないドードーという鳥の役。
この頃はシャイで注目を浴びるタイプではなかった。

 

 

★ 10代の頃

 

 

若い頃は探偵になりたかったそう。マニュアル本を買ったり暗号の書き方などを勉強していたレイチェル。
14歳からモデルの仕事を始め、リチャード・ギア主演の映画「キング・ダビデ」の出演オファーが来たことも。
結局、ご両親の了承が得られず断ったそう。
父親には、もし役を引き受けたら家を追い出すとまで言われたらしい。厳しいお父様だったのかな。

 

高校時代は、学校の規則や先生の権威的なものにかなり反抗的(disobedient)で、退学処分を受けたこともあるとか。
母親は退学( be expelled )という言葉を使わず、「学校を出て行くように言われたのね。( be asked to leave)」と言ってくれたそう。理解あるお母様!

 

優等生なイメージのあるレイチェルだけど、けっこうやんちゃだったのね。
でもそんな所がますます好きになる♪

 

両親はレイチェルが15歳の時に離婚。
その後、ある良い先生との出会いから英文学に興味を持ち、ケンブリッジ大学で英文学を専攻した。