ちっす!明治大学落語研究会4年の紫紺亭六輔です!
先日、高校の親友から卒業祝いとしてプレゼントを貰いました。中を開けてみると、「朝倉未来式トレーニングDVD」でした。四階の窓から投げ捨てました。
そんなことはさておき!
去る3/29(日)に我々明治大学落語研究会63期(諸説あり)卒業公演『はじまっていく、高まっていく』が催行いたしました!
トップバッターの喃喃が枕で話してたように「我々同期はろくでもない、仕方がない、情けない」という台詞よろしくバタバタの開催になってしまいました。笑
来てくれた方々本当に感謝です。🙇♂️
中トリのけけまで下ネタとフリートークというなんとも「ろくでもなくて、仕方がなくて、情けない」部員なんだろうと。笑
ただそれが我々同期の良い所でもあるんですよね。我々同期っぽくてなんだかいいなあと感傷に浸ってしまった自分がいました。
けけは枕で自分に自信がないみたいな話してたけど、お前の「鹿政談」すごいよかったよ!おもしろかったってうちのかあちゃんが言ってた^^
前半の5人が好き勝手話すから中入後の4人は時間との戦いになってしまいました笑
登三治がさすが同期のチームプレーと言ってたように最後の4人の1.25倍速落語最高でした!ついに落語も倍速再生される時代に突入したとエンタメを志す者としてなんとも感慨深かったです^^
私の人生ラスト高座。見渡すと部員をはじめ、OBの方々、ずっと支えてくださった父母会の皆様、家族、大切な方々が来てくれていて本当に涙が出そうでした。
明治大学落語研究会も紫紺亭六輔も二度と名乗ることができないと思うと、ものすごく寂しい気持ちでいっぱいです。
ただ、最高の同期と最後公演を開くことができて本当によかったです!


毎回卒業のシーズンになるとふと考える事があります。
どうして神様は「別れ」というイベントを人間に貸すのだろうと。(健ちゃんごめんちょっと香ばしくなる🙇♂️)
「別れ」というイベントは見方によってはエモいが、生物の生産性ということを考えたら非常に効率悪い行為だと思うんです。だってずっと一緒の人といた方が楽だし。
でも人類は長い年月をかけてこの「別れ」というイベントを一年に一回行ってきた。それはなんでなんだろう。
チャッピーに聞いてみたら、
別れって、個人で勝手に終わらせると引きずるからなんちゃらかんちゃらとか何とか言ってた。何言うとんねん。
六輔はこう思うんです。
「出会ってきた人々の関係に意味を与えるため。」と。
もし別れがなかったら出会いも薄くなる。終わりがあるからこそ「あの時間は特別だった。」って後から意味付けできると。
たとえば卒業って、ただの儀式じゃなくて
“あの期間を一つの物語にするもの”だと思うのです。
だから人類は、「別れ」を怖がりながらも物語として残してきた。
そんな様な気がするんですよね。
あの人もこの人も、あそこの人も、私にとってあなたにとって、何かしら意味がある。
そんなことを思います。
六輔意外とエモいっしょ。
シェイクスピアは「お気の召すままに」でこう記した。
”別れは終わりじゃなく、
次に再び出会うための舞台転換である”と。
出会ってきた方々、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。またいつかどこかで会いましょう!👋
出会いの数だけ別れは増える。それでも希望に胸が震える。
文責 19代目紫紺亭六輔










