ども、名人です。

 

今日の東京の空、朝は快晴でしたが次第に雲が多くなって来ました。予報によれば現在南エリアの暴雨が今晩の夜半には関東を通り抜ける様です。帰宅が夜遅くになる方は気をつけてください。

 

さて、今日もブログネタ募集よりコメントをしたいと思います。

 

>少年メディアシリーズの企画立ち上げからその後の展開にいたる当時の構想をお伺いしたいです。

 

少年メディアは、プログラムを記録したカセットテープを同梱した文庫本になります。

 

 

そもそも「少年メディア」は、ハドソンが任天堂さんのファミコン用の「ファミリーベーシック」の開発をしていた事から始まりました。

 

 

私がハドソンの営業から宣伝部に異動になった時に、ちょうどファミリーベーシックもマスター直前の状態だったと思います。

ただ単にベーシックを開発しただけではファミコンで遊んでいる子供達には分からないだろうという事で、その解説本を書けというまぁ、命令が私にくだされました。

 

その頃のハドソンは、毎月「月刊メディア」という書籍を制作して各販売店で無料配布をしていた時です。

なので、その制作スタッフが集められ、子供向けの単行本を作る計画が進行する事になりました。

その時のハドソン担当は私になったのですが、それは、そのスタッフの中でプログラムの事を知っているのが私だけだったからです。

そして企画会議を行い。

・プログラムの制作を子供にも分かりやすくマンガにしよう。

・それだけだと弱いので、ロードランナーなどの攻略も載せる

・サンプルプログラムを10〜20本ほど掲載

・入力が大変なので、それをカセットテープで同梱

などの企画がたてられました。

 

まず、私が最初に行ったのは、いわゆるマンガ部分のネーム作りになります。私はそれまでにネームを作った事が無かったのでとりあえず台本の様なモノを作成して、お願いする事になった漫画家さんにそれを私てネームにしていただきました。

そしてそれを確認してペン入れをして貰いました。

その後は、サンプルプログラムを作成する作業に入りました。

 

他のスタッフは、ハドソンのゲームの攻略部分を作成していました。そこに介入出来れば良かったのですが、当時の私はサンプルプログラムを作るのに精一杯で、残念ながら参加出来ていません。

 

そして、サンプルプログラムは出来たのですが、そこで問題が発生しました。と言うのは、ファミコンのファミリーベーシックのプログラムはプリントアウト出来なかったのです。

そこで完成したプログラムを見ながらタイプライターで1文字1文字入力して原稿を作る事になりました。

今思えば、これが一番時間が掛かりましたね。

そしてこれが全て終わって、確認などをしていて印刷用の原稿が出来た時にニュースが飛び込んで来ました。

 

そのニュースと言うのは、任天堂さんが数百本では有るけれども、ファミリーベーシックのマスター前のVerを販売していたと言う事でした。

私が書いたプログラムでは、そのバージョンでは動かないモノが有りましたので、早急に修正しなければ販売した後で動かないというクレームが来る事が分かりました。

調べてみると、そのプログラムは5本有ったと思います。

しかし、印刷までは時間が無かった事から、徹夜で修正する事にして、修正した後でタイプライターで入力し直して原稿を仕上げたのです。

この時は、ホントに疲れました(w

 

そして、この少年メディアを本屋さんに販売する事になったのですが、当時の本屋さんの問屋さんに、ファミコンが伝わらなかったのです。

ゲームの攻略本もまだ販売されていない時代ですので、いくら説明してもダメだったんです。が、なんとか一部で販売して貰うことになりました。

その代わりに展開したのが、ファミコンを販売しているおもちゃ屋さんの展開です。

この少年メディアは、25万部ほど売れたのですが、その中の9割はおもちゃ屋さんでの販売だったはずです。

 

そして、それは書籍としては大成功だったので、当然のことながらその続きの企画を行う事になりました。

まぁ、実行するまで1年ほど空いてましたけども…

私が名人として出てきた事も有るし、子供達にはプログラマーという職業が憧れになっていた時代だった事から、最初は攻略をメインにしていたのが職業案内の様な感じになっていきました。

 

まぁ、いわゆるネタ切れですね(汗

そして、それはユーモアネットワークという会員向けの雑誌になっていったのでした。

 

 

 

では、今日も一日楽しみましょう!