ブログネタというよりはもうQ&Aですけどね。(w
>ハドソンのゲームの中で、続編作りたいゲームはありますか? 桃鉄やボンバーマン以外で。 個人的には、チャレンジャーやバイナリィランドは変わった感じが好きでした。
そうですね。代表的なタイトル以外と言う事であれば、PCエンジンの「定吉七番 秀吉の黄金」でしょうか。
東郷隆先生の007のパロディは、いつの時代になっても楽しめると思います。
>天外魔境は復活しないのですか?
源左、天外の権利を持っているのはコナミさんですので、広井王子さんが近づいていけば…可能性はあるのではないでしょうか?
>アイレム版のおロードランナーは、当時プレイしていましたか?
いいえ、プレイしてません。
>さくまあきら(さん)について
何を書けばいいんでしょう(w
私が桃鉄の宣伝をやっている時には、著名人を集めたデバッグを2週間に一度くらいのペースでやっていて、その時の状態を見ながら細かな数値の変更をしていたので、本当に桃鉄が好きなんだなと思っていました。
>ご存じならハドソンが販売していたパソコンソフトの話もおうかがいしたいです。
パソコン用のソフトだと、1982年から1985年くらいまでしか分かりませんが、その当時は、1タイトルを一人かその他の協力者も含め、2〜3名で作っていました。
初期の頃はベーシックが中心でしたけども、X-1が出る直前には、基本的にマシン語を中心として、速度アップを図っていましたね。
時代的には、まだ著作権が甘かったので、キャラクターを他に変えたゲームに人気がありました。
例えば「ベジタリアンクラッシュ」とか「イタサンドリアス」とかです。
ベーシックで書かれていたのであれば、私も営業では有ったものの移植作業を手伝ったりしていましたが、マシン語になるとわけが分かりませんでした(汗
>ハドソンの創業時あたりのお話とか
ハドソンは、私が14歳の1973年に創業されました。
最初は、社長が写真を撮影(特に蒸気機関車のC62)が好きだったので、その写真パネルを喫茶店にレンタルする事がメインだったそうです。
ただ、その時に仲間にお金を持ち逃げされてしまい、そして別な職種としてアマチュア無線の店を開店したのだそうです。
そして、その後、パソコンソフトに興味を持ち、そのソフトをカセットテープに記録して販売した事が、後のゲームへと継がれていったのです。
>ハドソン社内でジンギスカンがお客様に振る舞われる事があったとか、それらが事実なら名人もジンギスカンを社内で食事した事あるでしょうか? キャラバン上位や優勝者の中などから今もお付き合いある方はいらっしゃいますか?
これって、多分ですが札幌本社に有った食堂での事だと思います。私が仕事をしていたのは東京ですので、残念ながら食堂を使った事が一度も有りませんでしたので、そこら辺はよく分かりませんが、札幌で(というか北海道で)焼肉と言えばジンギスカンですので、決して無かったとは言い切れない部分があります。
それから当時のキャラバン参加者さんとは日頃お付き合いしている人はいないかな?
ただ、イベントなどで顔を出してくれる事が有るので、それは懐かしくて楽しみにしていたりします。
今回はこれくらいで。
ではでは…