ども、名人です。
今日の東京の空は雲で覆われています。
出社している時には、霧雨状態でしたが、それもこれから上がって晴れ間が広がる様な予報が出ていますね。
さて、今日は木曜日なので、いつもの祈夜もことさんとのエオルゼアの冒険が予定されていましたが、今晩の配信で
「第81回 FFXIVプロデューサーレターLIVE」
が有り、配信時間がかぶる可能性が有るので、明日に順延とさせて頂きます。
さて、連日、ネタが思いつかない事から書いている(汗
1985年のキャラバン大会に関する話ですが、今回はキャラバンカーに付いて書いてみようと思います。
この写真は、キャラバンカーが完成した時にTDKさんにお披露目に行った時のモノです。
さて、このキャラバンカーは、モニターやファミコン本体。そして景品のTシャツや巨大コントローラーなどのキャラバンで使う機材を全て載せて移動する為の車になります。
今、この車種は生産されていないかもしれませんが、宅配便で使われていた車種ですね。
なので、都内や町中を走る設計だったので、長距離を走る事は前提となっていませんでした。今考えると、3年間もよく保ったなと思います。さすがジャパンクオリティです。(w
このキャラバンカーを作ろうとしたきっかけは、会議の中で当然の様に出て来ました。そこで、いろいろ資料を取り寄せて検討した結果、2tトラックとどちらにするか?になりましたが、小型のおもちゃ屋さんで開催する可能性を考えると、少し小型なタイプが良いのでは?という事になりこの宅配便カーになったのです。
全体の黄色は、ハドソンのCIで設定している3色の中の黄色をベースとしてイラストやロゴを黒色にしました。
また、ベースの黄色ですが、誌面の色指定はY100%という指定なのですが、そのままだと直射日光の下では白っぽいレモン色に見えてしまう事から、マゼンダを足して多少オレンジ色に近くしてあります。
そして、最大のポイントである左側側面はガラス張りにしました。
これは、おもちゃ屋さんで開催する時、モニターを並べる場所が無かった場合を想定して、このキャラバンカーに長テーブルを配置すれば、キャラバンカーのモニターを見ながら大会が開ける様にという意見から作りました。
実際にその様にして開催した場所はありませんでしたが…
しかし、キャラバンカーの最大のポイントとして記憶に残るモノになりました。
現在であれば、同じ車種を手に入れたとしても、強度の問題で同じ加工は出来ないと思いますが、1985年はそこまで厳しく無かったですね。
そして、この加工には2ヶ月が必要でした。
つまり全体スケジュールを確認した場合、北海道の苫小牧港と九州の日向港にキャラバンカーをフェリーで送る為には、7月中旬までに手続きをしなければいけない事が分かりました。
逆算すると、改造の為には5月10日前後に発注をしなければいけません。
そこで重要だったのが費用です。
この当時のハドソンは、イベントとしてのキャラバンにそこまでの費用を掛ける事が難しかったのです。
そこで、広告代理店さんにお願いしていわゆるスポンサーを探して貰うことにしました。
このスポンサーが決まるまでは、実はキャラバンカーを発注出来ないという状況だったのです。
そして、代理店さんからスポンサーにTDKさんが決まったという連絡が入ったのは、ギリギリのタイミングでした。
TDKさんとしては、これからの磁気テープなどの需要を見込んで子供達にメーカー名を知って貰うという事がキーポイントになったのだと思います。
この当時は、スポーツ興業やライブなどにスポンサーが付く事が珍しい時でも有ったので、この時のTDKさんには頭が上がらないです。
とにかく、キャラバンカーを無事に2台発注する事が出来た事で、予定どおり南北大会の開催が可能となりました。
では、今日も一日楽しみましょう!