ども、名人です。

 

今日の東京の空は雲で覆われていて、雨が降り出しました。

なので気温も低めですね。

春先は気温の変化が有るので、身体が慣れるのに時間が掛かってしまいますが、皆さん体調悪化に気をつけてください。

 

さて、今から38年前の今日、ファミコン版の

 

「忍者ハットリくん 忍者は修行でござるの巻」が発売されました。

 

 

このゲームは本来は1985年に発売される予定でした。

なので、これを入れた場合、85年に発売されたであろうハドソンのファミコンタイトルは、

バンゲリングベイ

チャンピオンシップロードランナー

スターフォース

プーヤン

チャレンジャー

バイナリィランド

ボンバーマン

に加えての8タイトル目の作品の予定でした。

 

85年と言えば、全国キャラバンの開催年でも有るので、ハドソンとして乗りに乗っていた年と言えますね。

 

さて、夏休みのキャラバンが始まる前の春頃に、コロコロコミックさんから、ハットリくんを作ってみないか?というお話を頂きました。

皆さんもご存じの様に、コロコロはドラえもんを掲載する為に作られた雑誌ですので、当然編集部にとっても藤子不二雄先生の作品は一番大事なんです。また、コロコロとしてもファミコンに関しての好感触を得ていた事も有って、藤子作品のゲーム化には乗り気でしたし、中でもゲーム担当からハドソンを推薦してくれた事も有って開発が始まったのです。

制作には、ドラえもんの名前も挙がりましたが、まずはハットリくんをと言う事になりまして、ハットリくんの人気を見てからドラえもんを考えようということになったのです。

 

当時の社内としても、藤子先生の代表的な作品だった事も有って、開発には大変な重圧が掛かっていたと思います。

当然の様に社長を初めとした役員にもそれは伝わっていました。ある程度の作品が出来た時に、社内での確認が有ったのです。そして、その段階では年末に発売という発表をしていたのですけれども、社長の鶴の一声で、そのバージョンは取りやめになり、再度作り直す事になったのです。

 

確か、ファミコンでの発売延期は初めてだったと思うので、いろんな噂が子供達の間で出て来ましたね。

逆に言えば、この発売延期が有ったから、さらにハットリくんの名前が広がった様に思います。

 

さらには、85年のキャラバンからおはスタまでは、私は子供達の間だけだったのですが、86年の新年よりファミコンブームが大きくなって、同時に私も宣伝する場を広める事になりました。

中でも鶴瓶さんが日テレでやっていた番組でデモプレイをした事が発売前の放送だった事で、あっと言う間に100万本を超えたのです。これは驚きしか有りませんでした。

 

 

とにかくいろんな意味で思い出深いゲームです。

 

 

 

では、今日も一日楽しみましょう!