ども、名人です。
今日の東京の空も晴れ間が広がっています。
暑さも厳しいですので、水分補給に努めましょう。
さて、今から38年前の1985年8月30日に
7月21日から始まった全国キャラバンファミコン大会が
阿倍野近鉄さんでの開催と共にフィナーレを迎えました。
毛利名人率いる北キャラバンが25会場。
そして私が担当した南キャラバンは33会場。
南北合計になりますが、日本全国58会場でのゲーム大会は、たぶん日本で最初のゲームイベントとなりました。
今振り返ると、準備開始からイベント終了までが約5ヶ月という長期に渡るイベントでしたけども、思い出よりもよくこの短期間で全国でのイベントを開催出来たなぁという驚きの方が先に経ちます。
4月頭に、「全国でゲーム大会をやろう」という事で始めたプロジェクトでした。
5月下旬までに遅くとも8月15日までの開催場所の決定を行い、そして6月15日売りのコロコロで発表。
同時にキャラバンカーの製作
イベントの進行に関する打合せ
ゲーム大会の予選(2分)と決勝戦(5分)の時間確定
MCを初めとしたスタッフのオーディション
配布物の製作
イベントスタッフの宿泊施設の予約と移動手段の手配
などなど…まだ多数の案件がありました。
4月は毎週2回の打合せ。
5月に入ってからは、週にⅠ度ほどになりましたが、それぞれの進行具合の確認などなど…
本当にたくさんのスタッフが動いた結果、第Ⅰ回キャラバンが開催され、そしてそれは皆さんの応援もあって、13年も続く、ハドソンの夏休みのⅠ大イベントとなったのです。
私は、その最初から絡ませて頂いたので、振り返っても光栄だったなとおもうばかりです。
阿倍野近鉄さんでの最後のステージで、どんな言葉を発したから覚えていません。
しかし、涙ぐんでいるMCの華ちゃんや、ドライバーさんと酔い潰れるまで飲み明かした事などなど、なにかそれまでに自粛していた何かが爆発したのは覚えています。
振り返れば、「ロードランナー」が売れ、3作目の「バンゲリングベイ」が○○ゲーと呼ばれた事で、4作目の「チャンピオンシップロードランナー」に不安を感じた為に、コロコロまんが祭りで、デモンストレーションを行った事から始まったイベントです。
全ての事が、次から次へと続いていった事で、それが本当に大きく花開いたと言っても過言ではないです。
先の予想をしながら行う事も大事ですけど、今の事を大事に行うってのは、さらに大事な事だと思います。
もちろん、その思いには、「こうなったら良いな。」ではなく「こうしてやる」という強い思いが必須ですけどね。
今はオンラインを使ったゲーム大会が割と気楽に開催出来ますが、またいつか、リアルなイベントを開催したいなと思いますね。
では、今日も一日楽しみましょう!