ども、名人です。
今日の東京の空は雲で覆われていて、雨が降ったりやんだりを繰り返しています。
気温は、今は28度ほどなので、暑くはないですが、汗がベタつきますね。
そして、今朝の私の体温(出社時)は36.0度でした。
さて、現在Twitterで質問箱というのをやっているんですが、回答するレベルが先日200になったものの、まだ半分も終わっていません。時間が有る時に少しずつでも回答していきますので、少々お待ちください。
そして、そんな質問で昨日回答したのですが、もう少し説明しようと思います。
その質問はこちら
という事で、この当時のコロコロコミックで展開していたイメージですね。
回答にも書きましたが、このイメージはコロコロの編集部から相談を受けました。
私としては、まぁ、コロコロというマンガの世界だし、ゲームの内容を変えているわけではなく、私個人のイメージなので、別に反対する気持ちはありませんでした。
なので、会社に報告する前に、個人的にOKを出したのです。
しかし、この前に私が肉体派として展開していた作品が有った事を思い出しました。
それは「髙橋名人物語」
正確には、どちらが先だったのかは間違っているかもしれませんが、それでも第1話からこんな感じでしたからね。
そして、第5話辺りで、こんな展開になりました。
髙橋名人物語は、1986年の4月からなので、昔の思い出を河合先生に話したのは、85年の年末くらいだったと記憶しています。
そして、その時に小学校の時に、毎週3〜4回は三角山に登ってセミを捕っていた事や、発寒川で魚を捕ったりしていた事などを話していました。
そんな中から、私が野生児というキャラになったのだと思います。
それを展開しているところで、コロコロ的には、相対する毛利名人は、都会派と言う事で貴公子というキャラになったのでしょう。
やはり、こういう対決というかライバルは、180度イメージが異なった方が面白いですからね。
それに、毛利名人に説明するにも、貴公子というイメージであれば、悪くはとらえないでしょうし(w
という事で、何がきっかけになったか?という、ピンポイント的なモノは分かりませんが、そんな展開をしている流れで決まっていったのだと思います。
ちなみに、ここで登場している髙橋名人物語ですが
これは、2002年に朝日ソノラマさんから発刊されました。
単行本は、小学館から出ていましたが、87年の9月から私が宣伝する対象がファミコンからPCエンジンを中心に活動する事になりました。
この名人物語には「ファミコンランナー」というサブタイトルも付いているので、PCエンジンの宣伝をしている時にファミコンの作品を出すのはおかしいのではないか?
という意見が出た為に、名人物語が1988年2月号で最終回を迎える事になりました。
そして、単行本として第6巻が刊行されたのですが、第7巻を作成する為にはページ数が足りなかったのです。
そこで2001年に朝日ソノラマさんから相談を受けたのです、この当時は小学館の許諾を得ていたという事で、この全部をまとめたコミックを発刊する事は決まっていました。
聞いた話によると、朝日ソノラマさんの担当者が自分で持っていた単行本をページを分割してスキャンし、担当本になっていなかった部分は、当時のコロコロコミックやコロコロスペシャルを取り寄せる事で埋めていきました。
それから、宣伝の入っていたコーナーは、私がゲームのコラムを追加で書いていくという方向で進行していったのです。
おかげで1000ページを超える分厚いコミックとなりましたが、こうしてみると読み応え抜群です。
時々は、この中のネタでブログを書いても良いなと思いました。
では、今日も一日楽しみましょう!