ども、名人です。

 

今日の東京の空も雲が多めです。

日差しが無いのですが、蒸し蒸ししていて、日陰で立っていても、汗がにじんで来ます。

そして、今朝の私の体温は、36.4度でした。

周囲の熱気に、体温が少しずつ上がっている感じです。

 

さて、昨日は、ハドソンがファミコンに参入した前半のゲームで、一番遊んでいないゲームはなんだろうと振り返ってみました。すると、このゲームがそうだという結論になりました。

それは、1985年9月に発売された

 

「プーヤン」    です。

 

 

このゲームは、コナミさんからアーケードゲームとして出された作品の移植版になります。

移植したのは、ロードランナーやスターフォースも移植した中本伸一さんです。

 

 

 

オオカミに襲われそうな子ぶたを守るために、ぶたのお母さんが弓を使って戦うという、皆さんもご存じのゲームです。

 

さて、どうして私が一番触っていないかと言うと…

それは、このゲームの発売日に関係しています。

発売が1985年の9月と言うことは、その直前まで、私は全国キャラバンの南キャラバンで各地を巡っていました。

 

キャラバンの開催が決定したのは、85年の4月初旬ですから、たった3ヶ月半というスケジュールでキャラバンの全てを決めなければいけなかったので、私は仕事の全てをキャラバンに集中していました。

そして、デモプレイもしなければいけない為、スターフォースのマスターが上がるまでは、簡単ですけどもデバッグもやったりしていましたが、本当に頭の中はキャラバン一色だったのです。

 

という事で、私が関係していないところで、プーヤンの発売に向けて動いていました。

私がプーヤンを始めてプレイしたのは、85年8月7日の鳥取大丸会場での事でした。

その日は、キャラバンの様子を見に、鳥取に来ていました。

そして、その時に、サンプルゲームとして渡されたのです。

 

「これ新作だから、子供達に遊ばせてみようぜ」という事で、急遽予選と決勝の間に遊んで貰う事にしました。

 

なので、鳥取キャラバンに参加してくれていた皆さんが、日本で最初にプーヤンを見た子供達でもありますかね。

 

さて、私はと言うと、キャラバンが終わってから東京に戻って、85年10月に発売される「チャレンジャー」の宣伝に入りました。

なので、振り返ってみると、本当にプーヤンを遊んでいる時間が無かったんだなと思いました。

 

 

 

 

では、今日も一日楽しみましょう!