ども、名人です。

 

今日の東京も晴れ間が広がっています。

昨日室内がもの凄く暑くて、ツイートしてしまいましたが、この時間で、TVの上の気温計は29度、そして室内の別な場所の気温計は28度を指してます。

外に出て、風を受ければそれなりに涼しいのですが、室内はまるで夏の様です。

そして、今朝の私の体温は、35.8度でした。

 

さて、昨日、生放送を聞きに来ていただけた皆さん、どうもありがとうございました。

いつも思いますが、皆さんの記憶を解明していく事が楽しいですね。

ただ、その時々とか、話をしている時にも思い出す事があるので、私もボケ防止に丁度いい感じです。

 

という事で、昨日は少しですが「忍者ハットリくん」の話が出ました。

 

 

このゲームは、ファミコンが大ブームになり始めた85年に、小学館コロコロコミック編集部から、話が来たのが始まりです。

なんでも、コロコロのメインキャラを書いている藤子不二雄先生の作品のゲーム化を考えた時に、その開発会社として、ハドソンを推薦してくれたのだそうです。

 

この話を頂いた時、もちろんですが即OK。そして、開発が始まったのです。

企画書を書いて、藤子不二雄A先生の元へ説明に行ったり、その企画書を、先生の意見を元に書き換えたりと、開発陣は大変だった様です。

そして、ある程度完成が近づいてきた時、その宣伝が始まりました。コロコロ紙面でも、それは展開されていくのです。

 

しかし、サンプルとして上がってきたゲームを社内で遊んだ時に、社長から相談が来ました。

それは「これ面白いか?」という内容でした。

私としては、すでに発売日は決まっているし、チューニングをする事で面白くなる可能性はありましたけども、「ちょっと厳しいかもしれません」という返事をしたのです。

そこで社長の鶴の一声がおき、開発し直すことになったのです。

発売延期の告知をコロコロさんにお願いして、藤子A先生にもお詫びして、新たな発売日を翌年の3月に設定したのです。

 

この遅れが致命的になるかもしれないという恐れはありましたが、86年の冒頭からの大ブーム。

それまで、ファミコンの事を話せる方も居なかった事で、全ての取材が私に来る事になりました。

もちろん、話の最後にはハットリくんの告知を入れてもらいながら取材に応じていたのです。

そのおかげで、ハドソンが告知する以上に告知が行われる事になったので、発売日に完売。

翌日には追加注文が殺到する事になり、150万本弱を販売する事が出来たのです。

 

もちろんハットリくんのキャラ人気のおかげなのは変わり有りませんが、このタイトルのおかげで、スターソルジャーの売り上げにも繋がってくれたのかなと思います。

 

私にとっては、まさにファミコンの大ブームという台風が来る直前の時代です。

中でも一番の思い出は、日テレさんの番組で鶴瓶さんにお会いできた事ですが、とても腰の低い方だったのが、今でも記憶に残っています。

 

 

 

 

 

では、今日も一日楽しみましょう!