ども、名人です。
今日の東京の空は、雲で覆われています。
気温は低くはありませんが、これから雨が降る様です。
私は夕方から外なので、ちょっと憂鬱です。
さて、先日までのブログで備忘録やサインの遍歴などを書いていますが、全てが私の中のあやふやな記憶を元にしているので、書けば書くほどに、新たな事も分かってきて…
なかなかまとまりが付きません。(w
昨日のサインにしても、新たにサインが出て来て、その日付を見ると、記憶と数ヶ月のズレが出て来ていますので、さらに修正するという事が必要だなと感じます。
wikiなどで書かれている内容にしても、100%信じる事は危ないし。
なぜなら、自分のページを見ても、ちょっと違う事があるからです。
特に困るのは、30年前だと、デジカメが登場する前なので、写真がほとんど無い事です。
イベントの写真は、そこそこにありますが、それもカメラマンさんがいた時で、その他のイベントでは、ほぼ記念撮影ばかりだったりするので、イベント中の記録的なモノが無かったりするんです。
ハドソンにいた時に、膨大な量のネガポジフィルムがあったのですが、スキャンする事が出来ずに処分してしまったのも、今となっては後悔しか残りません。
それにしても、たった30年なのに、なぜ記憶ってのはあやふやになるんでしょうね。
昔から、日記を付けていれば、こんな事にならなかったと思うのですが…、今と違って、文章を書くのが本当に苦手だったのが悔やまれます(w
人間なんでも慣れですね。
私と一緒に飲む事がある、皆さんの最初の言葉の多くが
「昔に戻れるなら、その時の自分に、将来名人と飲んでいるんだぜと言いたい」
と言うのですが、それは私にも同じ事が言えます。
昔に戻れるなら、手元にあった、サンプルソフトはもちろんの事、ファミコンカセットのオープナーとか、その他のあらゆるモノを、コンテナを借りても保存しておけ。と…
何を言っても、今更ですけど。
もし、今の皆さんがやっている事で、モノとして残せなかったとしても、写真や文章で残しておく事で、将来の資料になる事が多いと思うので、出来るのであれば、どんな事でも記録していきましょう。
私も、年表ではないですが、少しずつ隙間を埋めていきたいと思います。
と、こんな事ばかりだと面白くないので、思い出した事を書かせて頂きます。
私がハドソンに入社した時、1982年ですが、その時の年間売上は、約15億ほどでした。
私が社員番号31番だったので、1人5000万の売上になります。
当然、翌年の売上目標は、もっと上になるのですが、悪い事に販売店のケースは、ハドソンの商品で溢れていました。
というのは、ほぼ2週間に一度の割合で、数タイトルが発表されていたからです。
当時は、ハード毎にプログラムを変える必要があったので、シャープ、NEC、富士通、などなどのメーカーから販売されている機種×タイトル数の商品が発売になるので、私も新製品紹介の為に、毎回10本以上のカセットを持ち歩いていたのです。
そんな状況ですので、なかなか厳しい状態になったので、思い切って、本格的に力を入れた作品を大事にしていくスタイルに変えたのです。
その記念的な1本目が、あの「デゼニランド」だったのです。
それまでのゲームが、1万本がベストセラーだとしたら、デゼニランドは、その5倍から10倍の販売数となりました。
その後も、「野球狂」「花札狂」「ジャン狂」
デゼニワールド」、そして「サラダの国のトマト姫」
と言った作品が発表され、それら「狂」シリーズは続いていくと思っていた中に、ファミコンが入って来た感じです。
ファミコンが登場してからは、私が宣伝部の中でファミコンというかコンシューマ担当になるなどして、ハドソンもパソコンとコンシューマという二流になっていきます。
なので、この頃からのパソコンの流れ、例えばMSX関係だとかに関しては、少し疎い部分が多いのです。
特にゲームマシンとして有名なX68000(以降X68K)に関しては、もの凄いパソコンが出て来たなと思いましたし、いくつかのゲームも遊びましたが、触る事自体がそれくらいで、後はほとんど機会が無かった状態だったりします。
でも、こうして振り返ると、ハドソンは技術屋集団だったなと、改めて思います。
では、今日も一日楽しみましょう!