ども、名人です。
今日の東京の空は、今は雨は降っていませんが、路面は濡れていました。
今日はもう雨は降らないとの事ですので、雨具は必要無さそうです。
今日は、川田名人との対談取材があるので、いつもより早くに家を出なければいけません。
その記事が、どんな媒体で出るのかは、確認してから報告させて貰います。
さて、今日はユーモアネットワークについて書いてみたいと思います。
まずこの名称ですが、当時のハドソンでは、必ず「Hu」が使われていました。
手提げ袋などにも使っていたりしたので、それらは、皆さんの記憶に残っていると思います。
その「Hu」と「もっと」という「More」、そして「繋ぐ」という「Network」を足した造語が「HuMorNetwork」で読みが「ユーモアネットワーク」になりました。
Vol.1として発刊したのは、1989年の3月に発送した「創刊4月号」でしたが、実はその前に、ワープロで製作したのが初号になります。
初号は、1988年頃だったと思います。
まだDTPソフトが登場したばかりで、高性能では無い時代でしたので、写真を貼って、文字を並べるという程度でした。
とにかく予算を出来るだけ使わずに出来る事をやってみるという事で始めたのです。
そして、その当時のゲームに入れていたアンケート葉書を返してくれたユーザーさんに送る様にしたのです。
最初は試しで始めた事ですが、雑誌の記事では言えなかった事などが直接書ける機会が出来るという事と、TVCMなどとは別な直接的な告知が出来る事。
そして何よりも、ハドソンのファンを大事にしたいという事で、ちゃんと作っていこうという事になったのです。
この段階で、それまで私が作っていたのですが、ほぼ監修という形になり、負担は80%位減る事になりました。
そして1989年3月に発行したのがこちらになります。
白黒のタブロイド判です。
いわゆる会報誌ですので、発送料がそれなりに掛かる分、印刷代を安くするために白黒だったのです。
が、せっかく作っているゲームの魅力が、白黒では半減するのではないか?という声が上がって来たので、カラーとして制作して行く事になりました。
白黒での発行回数は、1年も無かったと思いますので、数回だったと思います。
その後、このタブロイド判ではなく、いわゆる大判葉書サイズになったのです。
当時のハドソンは、出来る事ならば、何でもやっていたという感じです。
この印刷物の他には、ビデオテープにTVCMやプロモーションビデオを入れて配る「ちらしビデオ」などなど…
歴史としては、うろ覚えなところもあるので、私自身も整理しなければ、前後の入れ替わりが起こってしまいます。
ウィキなどにも書かれていなかったりするので、実際に制作したモノを見つけて整理しなければいけない様です。
では、今日も一日楽しみましょう!