ども、名人です。

 

今日の東京の空は、春らしいですよ。
雲もありますが、青空も綺麗に見えている部分がたくさんあります。
今日が平日だったら、花見散歩は最高かもしれませんね。
昨日の上野は、とても人が多かったですが、これから週末にかけてもっと増えるのでしょうね。
今日か明日には満開になるだろうとの事ですし、来週月曜までは雨も降らなさそうなので、土日は、最高の花見日和になるでしょうね。
私もカメラをぶら下げて…
ただ上野は、人が多そうなので、それ以外のエリアを歩いてみようかなと思います。

 


さて、今日の思い出は、井上淳哉先生とうさくん先生です。

 

まず、井上淳哉先生ですが、先生とは「BTOOOM!」という作品がアニメ化された時、その登場キャラの一人の「鷹嘴(たかのはし)」という役の声優をさせていただいた時に、初めてお会いしました。


私も、それまでは、ゲームのキャラやTVCMなどに声優として、参加していた事はありましたが、アニメ作品は初めてだったので、とても緊張していた事を覚えています。
ただ、その緊張を先生やスタッフの皆さんが解いてくれたので、とてもリラックスする事が出来ました。

 

このBTOOOM!という作品は、爆弾で殺し合いをするという作品なのですが、その元締めの指令役が鷹嘴なのです。

 

最初の登場シーンは、どう言うのがいいか悩んでいたのですが、先生曰く、「あの当時のテレフォンサービスのオープニングで言っていた『レディース&ジェントルマン』という感じで、軽く言ってください。」との事でした。


爆弾による、リアルな殺し合いゲームだけども、鷹嘴はそれをゲームの様に軽く考えているから、言い方も軽くでいいのだとの事でした。

 

私自身は、テレフォンサービスの件は覚えていますが、どんな感じで言っていたのかまでは覚えていませんでしたので、何通りかをテストで言い、その中で一番良いという口調やトーンで言わせてもらいました。

また、他のシーンでも、アニメシーンは出来ているので、セリフをこの1秒半に入れる様にとか、指導されながら、何とか全てのシーンを終える事が出来ました。

 

その後は、TVやラジオ用のCMの収録でした。

 

まぁ、それらは、全て過去のゲームのパロディという感じだったので、それもその当時のまんまの雰囲気で収録を終えました。

 

後で聞くと、「当時のパロディはちょっと…」と私に言われてしまうかもしれないという懸念を持ったまま当日を迎えた様ですが、私としては、どんな作品であれ、楽しい方がいいと思っているので、反対する事はありませんでした。(笑
そういう意味では、皆さんが気を使ってくれていたので、ありがたいなと思いました。

鷹嘴自体の登場が少なかったので、そんなに声優としては参加していませんが、それでも嬉しかった経験でした。


私の場合は、声優の勉強などした事がありません。

なので、アニメのオーディションに参加する事すら考えていませんが、この作品に関しては、「鷹嘴」は私のモチーフだったという事で、先生が私を推してくれたのが、こういう経験値を与えてくれたんだなと感謝しています。

 


そして、うさくん先生の思い出は、私の本「名人はキミだ!ファミコン戦士に告ぐ」の思い出です。

 

この本、実は、私の手元にも無いのです(汗


また、私が書いたというよりも、インタビューに答えた事を、私が書いた風に作品化してくれている本ですので、微妙な言い回しなどが、今の私のブログやコラムなどとは違うと思います。
しかし、そういう意味では、いわゆるゴーストライターさんにまとめてもらったとはいえ、その大元の部分は、全て私が話をした事なのですから、そんなに違いは無いと思います。

 

ただですね、その当時は私も若かったし、ちょうど名人としての活動が活発になる直前に決まった本の出版だったので、なかなかインタビューの時間が取れなかった事と確認のための時間が取れなかった事が、今振り返れば残念だった部分です。
もし時間があれば、文字になった時に修正を入れれたのになぁと、これは今でも思っている事なんです。

 

その中に書かれているゲームの難易度に関しては、まぁ、あのトリビュートコミックでうさくん先生が描かれている事になると思いますので、今回は、別な思い出を書きますね。

 

この本を出版された編集長さんは、将棋の世界にも関わって入られた方で、名人やそれを狙っている方にも顔が広かったのです。

 

そこで、名人戦に出向く棋士さんのところに、一緒に伺ったところ、編集長は私の事を「名人」と呼ぶのですが、それを聞くたびに棋士さんは、苦虫を噛み潰した様な顔をされていました。

そりゃそうですよね、その棋士さんは名人を目指して、日夜修行しながら戦っているのですから。


心の中では編集長さんに、「もう名人と呼ばないで、高橋と呼んでください」と言っていたのですが、その棋士さんの顔を見ながらも、最後まで私の事を「名人」と呼んでいました。

 

その棋士さんも有名な方ですので、ここで指名を書く事は避けておきますが、これが、今でも忘れられない出来事ですね。


私の「名人」という称号は、日本だからこそで、もちろんその大元になっているのは囲碁や将棋の「名人」ですからね。
今でこそ、「カリスマ」と同じくらいに「名人」という称号は使われていますが、その当時の若造が、「簡単に使えるほど軽くはないんだ」と言いたかったんじゃないかなと思っています。

 

まぁ、いろいろありますが、それぞれはいい思い出です。

 


では、今日も一日楽しみましょう!