前回までで、ほぼ基本的なルールは決まりました。
これあ決まるまでは、ほぼ一週間ほどだったと思いますが、全てが机上での事なので、うまくいくかどうかはわかりません。
そこで、このルールで本当にいいのか?という実験を行うことになりました。
まずは、この流れでゲーム大会を行ってみて、修正するべきであろうという事です。

実際に子供が動いているところを見なければ、1チーム4分でいけるのかどうかなんて分かりませんからね。
そこで確認の為に選ばれたのが、5月3日に、千葉県柏高島屋で開催される「コロコロまんが祭り」でした。

参加者は、キャラバンと同じ250名にしたかったのですが、まだモニターなどが揃えられないため、5台のファミコンで出来る100名とし、イベント会場の一室を借りて行う事にしました。
ただ、この時点では、MC や他のスタッフが決まっていませんので、あくまでも、私自身と他のスタッフが、全体的な流れを確認し、予選2分間、決勝5分間でゲーム大会が成立するのかどうかの確認を行う事がメインの目的でした。
なので、この当時のハドソン東京に居た社員全員で、この大会の準備にあたったのでした。




この日、いったい何人が集まったかは記憶にありませんが、このイベントは4月15日売りのコロコロで紹介されましたので、その部屋が埋まった事は言うまでもありません。
そして、この4月15日売り号で、私も初めて「高橋名人」として告知されたのでした。

ゲーム開始の時に、MC が居ない状態で、私がステージに上がりました。
今振り返ると、この時が一番恥ずかしかったです。(w
私の様なあがり症が、一人で進行するなんて、今でも考えられなかったです。

さて、ステージに上がってから、簡単にルールの説明を行い、デモンストレーションプレイを見せて、簡単に点数の取り方を紹介します。
この5月では、発売前なので誰もゲームに触った箏すらありませんので、しっかりと説明をしなければいけませんでした。
それに、ジョイスティックも、まだ完成していなかったので、この時はキャラバンとは異なり、コントローラーでの大会となりました。

2分間の予選が進み、5分間の決勝戦も無事に終えたところで、まずは問題無く進行する事が出来ました。
この大会を受けて、翌週には、早速会議を行い、試合進行の確認などがありました。
その時、予選をやっている子供達や待っている子供達はいいとしても、予選を終わってしまった子供達の事が議題に上りました。
せっかく来てくれたのだから、何かしら楽しい思い出を作っていって欲しい。
そんな中で、「ゲームセンター嵐」に登場する、「巨大コントローラー」を作って、嵐の世界を体験してもらおう。という事になりました。
さすがに、型を作るには時間が無さすぎますので、木工で作る事にしました。
ボタン部分も、ゲームセンターのボタンの上に、厚手のゴムを張ることで対応する事にして、巨大コントローラーの制作をはじめました。
これは、外部の会社にお願いしたのですが、内部の配線は私が行う事になりました。

 コントローラーが完成した頃、半田と各種ボタンを持っていって、配線と動作確認を終えたのは、6月中旬過ぎだったと思います。

これで、予選を終えた子供達が、巨大コントローラーで遊んでくれるだろうと、空想していたのです。

しかし、実際にキャラバンが始まってみると、子供達は、このボタンをげんこつで叩いて操作したため、ボタンを留めている合板が割れてしまい、操作する事が出来なくなってしまいました。
動いていたのは、ほんの1週間ほどでしかありません。
キャラバン先ですので、木工で補強する道具もありませんし、そんな時間もありませんでしたので
40日のうち30日間は、ディスプレイとして飾られていただけでした…(汗


さて、話しは変わって、キャラバンカーの話しになります。

普通のトラックを借りて、全国を廻っても良かったのですが、せっかくだから、トラック全体をキャラバンカーとして塗装し、前の日にキャラバンカーを見た子供達に、ワクワク感を与えようという事になり、キャラバンカーを制作する事になったのです。
その時の会議で、どうせ作るのであれば、夏休みだけでは勿体ないので、毎週末に、各地のおもちゃ屋さんでイベントが出来た方がいいだろう。
また、その店が、駐車場しか無い場合もあるから、キャラバンカーの前に長テーブルを置くだけで、大会が開催出来る様に、モニターが見えた方がいいのではないか?
という意見が出たので、例のスタイルになりました。

宅急便が使っている車を元にする事にしました。
車の片側を切り抜いて、ガラスをはめるわけですから、制作期間を早くしても50日は見て欲しいと言われました。
7月10日には、鹿児島と札幌に向かって東京を出発したいので、5月10日くらいまでには、発注をしなければいけないのですが、この時点でスポンサーが決まっていません。

ハドソンがお金を出すにしても、1台分がせいぜいなのです。
そこで、スポンサーを探していた代理店の IPA さんに、もう一度お願いをして、強力に探していただく事になったのです。

この時に探してきてくれたのが、TDK さんです。
さらには、1年限りではなく、3年間分のスポンサーになってくれました。

これは、非常にありがたいお話でした。
スポンサーが決まった事で、キャラバンカーは2台を発注出来たわけですし、2台のキャラバンカーがあったから、北と南という2つのキャラバン隊を組むことが出来たのですから。

キャラバンカーに入っているイラストは、この当時人気であった、ファミコンロッキーのあさいもとゆき先生にお願いし、それにハチ助と会社のロゴを組み合わせました。
全体のボディカラーは、ハドソンの黄色ですが、普通の黄色であれば、陽射しが強いときに、レモンイエローになってしまうので、少しの赤みを加えました。

車の中には、モニターや他の荷物を載せる棚を付けて、キャラバンカーは完成しました。
それが、7月上旬の頃。
そこから登記を行い、東京の市ヶ谷にあるハドソンに到着したのが、7月11日か12日だったと思います。



まずは、TDK さんに向かい、宣伝部の方に報告し、その後市ヶ谷に戻って、キャラバンで必要な荷物を搭載して、九州は日向港。そして北海道は苫小牧港へと向かうフェリーに乗せたのです。


続きます。
(まだまだ終わりそうも無いなぁ…)