ども、名人です。

今日の東京、昨晩の雨も上がっているのですが、風が音を立てて吹いています。
東京の降水量も多いと思いますが、和歌山県では227mm降ったとのことです。
明日の朝までに、北海道で180mmという降水量も予想されています。
地盤が緩んでいるところもあるでしょうから、気をつけてください。

さて、今日は1985年2月22日に発売した「バンゲリングベイ」について書いていこうと思います。

このゲームは、アメリカのブロードバンド社が開発したパソコン用のゲームの一本です。
その中でも

「ロードランナー」
「バンゲリングベイ」
「チョップリフター」

の3本は、「バンゲリング帝国三部作」と呼ばれていました。

ロードランナーが、100万本を越える成功となったので、その次に出すゲームとして、すぐに候補になったのが、この三部作だったのです。
「バンゲリングベイ」と「チョップリフター」、どちらのゲームがいいだろうか?という判断をした時、バンゲリングベイの方がゲームとして面白いのではないかという事になりました。

チョップリフターは、ヘリコプターに乗って基地から発進します。
この基地は、地上にあったり、または空母だったりします。
基地から左方向に飛行しながら、空や地上の敵に攻撃をしながら、あるポイントにいる仲間をヘリコプターに乗せて、右方向に戻って基地まで戻って、仲間を救助していくゲームとなります。

それに比べて、バンゲリングベイは、ヘリコプターに乗って、バンゲリング帝国の戦略拠点にある工場を探し出し、そこを攻撃して破壊していくのです。
ヘリコプターには、爆弾が9発しか搭載出来ませんし、工場を倒すためには、その耐久力によって、複数の爆弾が必要となります。
また、工場の周囲には高射砲や戦闘機もあるので、一度の出撃で工場を破壊する事は難しいのです。

そこで、空母や敵の補給場に戻って、爆弾を補給しなければいけないのですが、空母でなければ、ダメージは完全に回復しません。

この空母は、球形になっているバンゲリング帝国のあるラインをずっと上へと移動しているので、地形は同じだけども、同じ工場へ飛んで行くには、その場所というか地形を覚えていかなければいけないのです。

また空母が撃沈された場合は、敵の補給基地だけでゲームを続けていかなければいけなくなるという、非常に難易度の高いゲームな事もあって、ハドソンでは第2弾として「バンゲリングベイ」を選択しました。

このメインプログラムを書いたのは「NUTS & MILK」を書いた菊田昌昭さんです。
サブには、スターソルジャーのメインプログラマーの野沢勝広さんが付きました。

この開発が、どんな状況で作られたのかは、私が東京、菊田さんが札幌で仕事をしていたので分かりませんが、最後の完成前に、東京で行ったチューニング会議とでも言うべき会議の中で、その時東京に居たスタッフ全員が集まり、そのゲームを見ながら
追加や修正出来る部分があるかどうかを確認しました。

その時に菊田さんからは、数ビットの空きがあるから、内容によっては追加出来るというものでした。

いろんな意見が出された中で、採用に至ったのは

「敵戦闘機は来る前に画面がフラッシングをして、危険モードに入った状態が分かる様にする」
「コントローラー2のマイクに音を入れると、戦闘機が襲ってくる」

の2つでした。
中でも、2つめのマイクに関しては、このゲームの宣伝に重要なポイントになりました。
せっかくマイクに声を発するのですから、何か使えないかという会議をやっていた時に、宣伝部の私の上司である大里幸夫さんが、
「まだハドソンは無名なのだから、ハドソンと言わせよう」
と発言したのです。
このアイデアは、すぐに採用となり、マニュアルにも「マイクに向かってハドソンと叫ぶと、何かが起きるよ」という一文が追加となりました。

この当時、当然の様に、音声認識なんかあるわけがありませんが、「ハドソンと叫ぶと」という一文で、あたかも音声認識がされている様な錯覚を子供に与えたのでした。

また、操作方法に関しては、今で言うラジコンタイプでした。
ヘリコプターを画面の上下左右に縦横無尽に飛ばすわけですから、私はこれが一番合っていたと思います。
それに、この当時の東京では、ラジコンカーが流行っていましたので、その練習にもなりました。

バッテリーが充電するまでの間、開発がプログラムを組んでいるのですが、バッテリー充電が完了すると、すぐに屋上に向かってラジコンカーの練習をするので、それに私も加わって遊んでいました。
そして、バッテリーが無くなると、また仕事に戻るのです。(w
これは楽しかったですね。

この時代、ラジコンカーを買いに行くのは、ほぼ私の役目だったのですが、多いときには一月で30台くらいを買って来たんじゃないかと思います。
東京のスタッフは20人も居なかったのにです。


宣伝部としては、コロコロコミックさんとの初仕事として、ファミコンロッキーへの採用が決まりました。
グラビアでの特集も決まりまして、私も記事展開などを担当さんと話しをさせていただきました。
また、プラモデルで私が作った空母との合成でTVCMも作りました。

という感じで、準備万端で自信を持って発売日を迎える事になったのです。

がしかし、発売日に私が受けた電話の内容は

「このゲーム、何が面白いの?」

というものでした。
ラジコンカー感覚の操縦法、敵の工場を破壊するまでに往復しなければいけない難易度、そして、「マイクに向かってハドソンと叫ぶ」事イコール「結果的に難易度が上がる」という事から、クソゲーと呼ばれる様になってしまったのです。

1985年当時は、このゲームの面白さがうまく伝わらなかったのでしょう。
今では、面白いという方も増えてきていると思います。
私は面白いゲームとしていますので、もしも時間があったら、または手に入ったら、ぜひじっくりと遊んでみてください。
本当に面白いゲームなんですよ。


では、今日も一日楽しみましょう!