ども、名人です。

今回は、1984年12月に発売した
「ファミリーコンピュータ・ファミリーベーシックがわかる本」
の時の事を書いてみたいと思います。

この本は、ハドソンが本格的にファミコンのゲーム作成に参加した時期に作成されました。
ファミリーベーシックは、同年の6月にV1.0が発売されました。
基本的には、ハドソンが開発していた「Hu-Basic」元に製作されたのですが、任天堂とシャープ、そしてハドソンの3社共同という事で、「NS-HuBasic」という名称になりました。

このBasicは、フリーメモリーが2KByte弱(1982バイト)という、非常に小さいサイズでしたが、ファミコンに特化したBasicであったので、固定されているとはいえ、スプライトキャラクターを簡単に動かす事が出来ました。

その後、84年末にV2.1を発売するという事で、それに合わせて解説書を出そうという事になりました。
そしてこの解説書を書く様にという命令が、私に下ったのです。

V1とV2の違いは、「SCR$」という、背景のテキスト画面のキャラクターコードを返す関数で、これが有る事で、今どんな背景の上にスプライトキャラがいるのかを判断する事が出来たのです。その結果、アタリ判定というゲームに不可欠な部分がかなり作りやすくなりました。
が、作りやすくなったとは言え、子供にプログラムを覚えろというのは無理な話です。
そこで、子供にもわかりやすい様に解説書を書きなさいと言われたのですが、私自身本など作った事がありません。
高校生時代には、卒業文集みたいな物を作りましたけども、それを本というにはおこがましい物で・・・。
とにかく、書けるかどうか分からないけども、悩んでいる間に作れという事で、本を作る事にしました。

これが、84年の7月くらいの事でした。

まずは、その当時、ハドソンの月刊誌「MEDIA」という雑誌を作っていた(株)オール・メディア・プランニング(以下AMP)という事務所に行って、本の作り方を最初から教えてもらう事にしました。
ページの構成を考えて、どのパートに何ページ割いていくか?
などなど、本作りの基本を1週間ほどで教えてもらった後、全体のページ数や内容を決めていったのです。
AMPとの打ち合わせの中で、最初から問題になったのは

AMPのメンバーはBASICの事を知らない。

という事でした。私もそんなに詳しいわけではありませんでしたが、スタッフの中では唯一知っている方だったので、その部分の原稿は、私が書くことになりました。が、文章を書いたところで、初心者の文を小学生が読んでも分からないだろうという事で、その部分は漫画にする事にしたのです。

漫画の原稿というか、ストーリーを書くためには、どうしてもプログラムを書くことを先にしなければいけませんでした。
という事で、まずはNS-HuBASICの勉強から始める事になりました。
一応基本的な事は知っていたのですが、それまでに私が触っていたBASICとはコマンド命令が異なっていたので、その違いの勉強から始めたのです。

まぁ、苦労した事はいろいろありますが、なんとかゲームを書きあげてから、漫画のネームを書いていく事が出来ました。
とはいえ、漫画を書いてくれた方に横に居てもらって、私がこんな感じというのを言っていったという方が多かったです。
が、私が初心者であった事は、漫画家の方にも伝わっていたので、私が変な原稿を書くよりは、スムーズに行ったのではないかと思います。

そして、その漫画が書かれる間に行う事は、他にも10タイトルくらいのゲームを作る事でした。
これには苦労しました。
2KByteで書けるゲームを10タイトルなんて、どんなゲームにするかを考えるだけで時間がかかってしまいますからね。
あまり大きな声では言えませんが、当時までに出ていたいろんなゲームを参考にさせていただきました。

本の冒頭には、その年に発売されたゲームの紹介を入れる事になりました。
「ロードランナー」「NUTS & MILS」そして「四人打ち麻雀」

「四人打ち麻雀」は、任天堂から発売になっていますが、ハドソンが制作した作品なので、ここでも紹介しているのです。
この部分は、AMPのスタッフさんにお願いしていました。


その作業が、ほぼ8割くらい進んだ頃でしょうか。非常に重大な事が発覚したのです。

NS-HuBASICで打ち込んだプログラムリストを、印刷所に持ち込む方法が無い事が分かったのです。
この当時のファミコンは、みなさんも覚えているとおりにRF出力でした。
TVの空いているチャンネルの1Chか2Chに合わせた電波を出力して、TV画面に出力しているのです。
この当時の画面は、そんなに綺麗ではないので、写真に撮影したとしても、綺麗に印刷出来ないのです。
かと言って、ファミコンにはプリンターを接続する事は出来ませんし、また印刷するプリント命令もありません。

という事で、最後の方法として、それしか無いと選んだ方法は、私がタイプライターで直接入力する事でした。
コンピュータに入力した後に、プリンターで出力しても良かったのですが、この当時はまだワープロという物が完成されていなく、一行が日本語で40文字、英字で80文字と固定されていました。またプリンターではドットプリンターという、ドットの粗いプリンターしか無かったので、これも印刷には耐えられなかったのです。

そこでタイプライターで1文字1文字を手入力していく事にしました。これには時間が掛かりました。
入力ミスをした時には、その次にその行を打ち直ししていったのですが、それだと間違う可能性があるという事で、入力ミスをした場合には、頭から打ち直すという作業を繰り替えしたのです。
全てが入力し終えたら、印字された用紙にペーパーセメントという接着剤(これを塗っても、紙がわかめ状にならないのです)を塗って、1行1行をカッターで切り、版下用紙に貼っていったのです。

漫画の中の吹き出しにも貼っていく作業もありました。
説明とリストを間違えてはいけないので、この作業は、漫画の吹き出しで必要なリストを抜き出した後、その部分をタイプライターで印字してから、切り出して貼っていく。
という作業を、一つ一つ順番に行っていきました。
一度に行うと、間違えてしまう可能性があったので、ひとつの吹き出し毎に行ったのです。

今の時代であれば、全てデジタルで出来るので、少し間違ったとしてもすぐに修正する事は出来るのですが、少なくともこの時の手作業は、1歩進んで2歩下がるという感じでした。


と、ここまで作業が終わった時の事でした。
実は、V2.0は、途中でBugが発見された事から、V2.1が出荷されるという事で作業が進んでいたのですが、ここまで作業が進んだ時に、V2.0も少数ながら出荷されているという事が分かったのです。
その数は、数千台だったと記憶していますが、これは大事な事だったのです。

というのは、この本は、V2.1に向けて書いている本ですので、V2.0では動作しないというかエラーになってしまう部分があるのです。
そこで、全ての命令からその部分を修正する必要があったのですが、それによって生じる作業は、

漫画部分の吹き出しの確認
プログラムリストの変更
カセットテープ用マスターの修正

と割と多岐にわたることになりました。
が、まずはプログラムの修正を、全てに行わなければいけません。
手元にあるHuBasicのROMを、V2.0に戻してもらってから、それまでに作ったデータを呼び込んで実行してみると、出るわ出るわというくらいのエラーの山だったので、やる気も失せてしまいましたが、その時の営業の責任者であるNさんが、
私の上司に「これじゃ売り物にならないですよ」と言っていたのを聞いて、徹夜をして全てを修正したのです。

この時には、仕事をしたなぁと思いましたね(w

今の時代、原稿を書いたり漫画を書いたりする部分以外は、わずかの作業で出来る様になりました。
わずか20年強で、その作業の全てがデジタル化されるなんて、その当時は誰が思っていたでしょう?
プログラムはデジタルなんですが、本にするのには全てが手作業というアナログ。
非常に大変だった作業ですが、今振り返ると、その一つ一つがいい思い出になっています。




PS.朝書いている事なので、読み返してみておかしな箇所があったら内緒で修正しているかもしれません。(w
また、ここに書いている事は、私が経験した事ですので、他のスタッフから見た場合、異なる記憶になっているかもしれませんのでご了承ください。


では、今日も一日楽しみましょう!