ども、名人です。

今日の東京の天気も、なんかグズグズです。
しかし、久しぶりのお湿りなので、湿度が良い感じになったんじゃないでしょうか?

昨晩、とある番組を見ていたら、冬の乾燥も身体への影響が凄いらしいので
きっちりとした水分補給を気にしなければいけないらしいです。 
寝ているときに、乾燥でノドが痛くなる事がありますが、そういう事にもならないために
みなさんも気をつけましょう。

さて、昨日は、お昼からワインをちびりちびりしながら、映画やゲームをしていました。
が、案の定、途中で眠くなってしまいまして…(w

以前の日記にも書いたように、ソファーを壊した後、座椅子で生活しているのですが
その上で、しっかりと寝てしまっていました。(汗

という事で、昨日遊んだゲームの話しを書こうかなと、昨日は思っていたんですが
それは止めて、ハドソン時代のゲームの話しをしようかなと思います。

と言っても、ファミコンの搭乗前のパソコン時代の事です。

パソコンのゲーム画面の雰囲気が、がらりと変わった時があります。
それが、1982年の11月。

極端な話しをすれば、それまでは、グリーンディスプレイやモノクロディスプレイに、
アスキーアートの様に、文字キャラクターを並べていって、デザインをしていたのです。
なので、キャラクターが動く単位も、文字の単位が基本だったのです。

1981年にNECからPC-6001が出て、カラーを使えるようになってきましたが、グラフィックはまだまだでしたが、この6001は、購入しやすい価格帯で、割と簡単にBASICでプログラムを書く事が出来ました。
ホビーパソコンという名称でしたが、コンポジットで接続出来たので、テレビに映すことができたのです。
家庭用のテレビなので、あまり綺麗な画像ではありませんでしたが、値段を考えれば取っつきやすいパソコンだったと思います。


82年の11月に、シャープからパソコンテレビX-1が登場してから、パソコンの世界でも多彩なカラーとグラフィックで遊べる様になったという感じです。

正確に書くと、けっしてそういう事ではないのですが、ひとくくりというか、
そういうステップアップした時代という感じがしたという事で感じてください。

グラフィック性能など、今のパソコンから比べればたいした事はありません。
ADVの場合、画面1枚にラインを引いて、ペイント命令で着色されていくわけで、その間の10秒くらいは、ずっと見ているのですが、その模様が楽しかったです。

スプライトなんてものは、まだありませんので、グラフィックを動かすのも大変だった様ですが、カラフルなキャラが、画面中を動き回っているのを見ると凄いなと思いながら見ていました。

そのうちに、プログラマーが慣れてきたのでしょう。
その動かすグラフィックのサイズがどんどんと大きくなっていきまして、
初期の頃で、一番大きかったのが
「暴走特急SOS」です。

以前にも書きましたが、このゲームを元にして作ったのが、ファミコン版の「チャレンジャー」です。

YouTubeに、MSX版の映像がありましたので、後で見てみてください。
チャレンジャーの最初の列車のシーンが、これだったという事がよくわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=aPgdwka4JJo&feature=related


ちなみに、ボンバーマンの元ゲームである「爆弾男」は、1983年に発売されています。
「暴走特急SOS」は、84年じゃなかったかな?

とにかく、80年代の中盤から90年代にかけての、技術の進歩はもの凄いものがあります。

ファミコンやスーパーファミコンで遊んでいる時に、プレイステーションが登場して
その画面を見た時に「アッ!」と言ってしまった感覚が、80年代中盤から3ヶ月おきに体験していたと思うくらいに、技術が進んでいました。

今となったら、それも懐かしい思い出ですが、あまりに早すぎて、どのマシンがどうか?というのが
こんがらがっているのも事実です。
どのハードが先か?とか、本当に覚えられていません(汗

まぁ、今度年表にでもしてみて、覚えてみようかなと思います。


では、今日も一日楽しみましょう!