ジョギングを趣味にしている友人が、ある時、新記録を出しました。彼はいつも川沿いの小高い土手を走っているのですが、その日はとても調子が良かった。それこそ、飛ぶように走れたのだそうです。いつもの折り返し地点に着いて時間を見ると、驚くほどの好記録。「俺もだいぶ体力が付いたなぁ」と満足して復路を走りだしますが、どうしたことか、今度は体が異常に重い。足が上手く前に進みません。そこで彼は、はたと気付いた。自分に向かって、物凄い向かい風が吹いていることに。体調も体力も関係はなく、ただ往路は追い風だっただけなのでした。調子が良い時というのは自分の力を過信しがちなようで、目に見えぬ力添えにはなかなか気付けないようです。向かい風にはすぐ気が付くくせに。
人生にも、上手く行かない時と、すんなり事が運ぶ時がありますね。運(うん)否(ぷ)天(てん)賦(ぷ)だけではなく、自分を取り囲む様々なご縁が、時に邪魔な向かい風になり、時に後押しをする追い風にもなります。そしてやはり、その後押しはいつの間にか当たり前になってしまって、なかなか実感できない。無くなって思い知らされることの、なんと多いことか。身近なご縁に限らず、自分の知らない所で誰かが心配してくれたり、骨を折ってくれていたりするかも知れない。見知らぬ誰かの頑張りに結果的に助けられたり、遠くの誰かの涙に実は救われたりしているのかも知れない。知らず知らず、誰しもたくさんの後押し、言わば「恩」を受けているのだと思います。
仏教において、恩という言葉には二種類あります。一つは「援助」という意味のupakara(ウパカーラ)。これは、upa(接近して)+kara(為(な)す)なので、助ける側の意思がはっきりしています。もう一つはkrta(クリタ)で、「為されたこと」という意味。相手が人にせよ動物にせよ自然にせよ、向こうの事情は関係ありません。こちらが感謝していなくとも、とにかく、自分が受け取った力は全て「恩」です。生まれたことは元より、動植物から栄養を貰うこと、学ぶということ、そして多くの関わりの中にいること。ただ生きているだけで、この世は恩だらけです。
自分の身に為されたことを知り(知(ち)恩(おん))、その恩に相応しく生きること(報(ほう)恩(おん))。それが、また誰かを後押しする風となる。それは、自分への風向きを良くする力となりましょう。少なくとも、向かい風を引き寄せるような恩知らずにはならぬよう、気をつけたいものです。