ひとくち伝言

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百観音明治寺の寺報、ひとくち伝言をお届けいたします

「一斉に枯れた54本の銀杏(いちよう)並木。街路樹に一体何が!?」
 

今年、東京都町田市で起こった事件です。道路の両側に約1㎞に渡って植えられていた並木の銀杏が今年、一斉に枯れてしまったのだそうです。その被害合計、54本。50年以上の間、夏の暑さを和らげ、事故を防ぎ、景観を彩ってきた木々が、ひと夏にして全滅してしまいました。原因は、道路計画のために一部の銀杏が伐採され、その断面に塗られた除草剤が並木全体に伝わってしまったとのこと。その伐採された木は他の木々と6~9mほども離れていたのですが、目に見えない地面の下では各々が根を張り巡らし、全てが繋がっていたのでした。街路樹はどれも剪定のせいで小ぶりに見えますが、地下には驚くほど広い繋がりがあったのですね。それぞれが自立し、並木の端と端では1㎞も離れているのに、実はそれらが運命共同体だったとは、誰も想像できなかったわけです。

私たちの生活にも、その足下には無限の因果と縁が連なっています。直接的な支え合いだけではなく、想像もできないほど複雑な縁の絡み合いが、社会というものを形成しています。結構、奇跡的なバランスで。例えば、電車の運転士さんが居眠りをしてしまわないお陰で、学校や会社に行ける。赤信号でみんなが止まるお陰で、青信号を進める。隣人が火事を起こさないお陰で、自分の家財や命も無事でいられる。すれ違う誰かが自暴自棄になってしまわないお陰で、平穏が守られている。何かが起きた時にも、それぞれの専門家のお陰で自分のことに専念できる。当たり前かも知れませんが、その当たり前が、有り難い。「誰かのため」なんて意識することなく、それぞれ自分のために当たり前の行動をし、誰かの当たり前を守っているわけです。
仏教の考え方からすれば、どんなに孤独であっても無縁ということは有り得ません。関わりが無くとも、直接的な影響を「与えないという関係性」があると捉えます。そして、思いも寄らぬ形で繋がっている。並木の端と端の銀杏のように。
自分のことで精一杯でも、誰にも認めてもらえなくとも、実感が全く無いとしても、その踏ん張りは確実に誰かの当たり前を守っています。そして、その苦しみや痛みもただ一人で抱えているわけではなく、誰かと共有をしているのかも知れません。どこかの、顔も知らぬ運命共同体と。

ちなみに、町田の銀杏並木は、全て新たに植え替えられるそうです。枯れた並木が因となり、縁が紡がれ、また新たな銀杏並木が生まれるのですね。