破茶滅茶 | ひとくち伝言

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 徳川家康の重臣、本多佐渡守正信が、秀吉恩顧の七将を懐柔するために茶席を開いたという噺がございます。その武将とは細川忠興、加藤清正、池田輝政、浅野幸長、黒田長政、加藤嘉明、福島正則という、錚々たる顔ぶれ。いずれも猛将ですが、細川忠興以外は茶の作法など全く知りません。すぐに身に着けられるものでもありませんから、作法を知る細川を正客として、皆は順々に隣の人を真似ることとしました。
 亭主である佐渡守の邸宅を訪れ、一行は茶室へと向かいます。皆の手本たらんと細川が先頭を歩くのですが、細川には戦の古傷があり、首が少し右に曲がってる。他の者はそれを真似して、首を曲げながらぞろぞろ行進します。茶室の狭いにじり口をくぐる時などは、身体の大きい加藤清正が戸口にドン!と、ぶつかってしまったものだから、続く者たちもドン!ドン!ドン!と、わざとぶつかって、ついには戸を壊してしまう。いよいよ茶を回し飲みするのですが、細川は難なくこなすものの加藤は緊張で手がブルブルと震えてしまいます。緊張しすぎて、つい加藤の長い髭が茶に浸かってしまった。髭が茶を吸ってしまったので、仕方なく髭をしごいて茶を茶碗に戻します。続く池田も真似しますが、渡された茶を口に含むと髭の油でギトギト。こんな髭汁を飲めるわけもなく、ウェッと吐き出します。それを見て、浅野は飲んだフリをして次へ回す。次々にそれを真似するものだから、最後になっても全く茶が減っていません。最後の人は茶を飲み切るのが作法なので、仕方なく福島は鼻をつまんで一気飲みをする。そんな破茶滅茶な茶席に、佐渡守はこらえきれず笑いだし、そのまま酒宴となったというのが講談噺『荒大名の茶の湯』です。「学ぶ」の語源は「真似る」ですが、何を真似るかも大事なようで……。
 兼好法師の『徒然草』に、「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。(中略)偽りても賢を学ばんを賢と言うべし」とあります。真似であってもフリであっても、その行動が人の有り様を決めるということ。本当の賢人だとか根っからの善人であろうとしなくてもいい。真似るべき賢人や善人を見定め、自分なりに真似て行動することが大事だということですね。その真似るべき存在を、仏教では菩薩と呼んでいます。