よしあしの 中を流るる 清水かな | ひとくち伝言

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ひとくち伝言          平成二十八年五月(二百二号)

 昨今、様々な「ゆるキャラ」が活躍をしておりますが、その元祖は一体どのキャラクターなのでしょうか。一部では江戸時代の博多の禅僧、仙厓義梵(せんがいぎぼん)の描いた布袋さんこそ元祖ゆるキャラなのではないかという声があります。ええ、ごくごく一部で。



 堪忍袋と呼ばれる大きな袋を携えた福の神、布袋さんがニコニコと指を立てています。まるでゴールを決めたサッカー選手のように。絵だけではゆる過ぎて意味がよく分かりませんが、左に「を月様幾ツ 十三七ツ」とあるので、どうやら指の先は月らしい。これは指月の譬(たとえ)といって、真理を説くお釈迦さまの言葉を、月を指し示す指に譬えたものです。言葉は記号であって本質そのものではないのに、ともすると我々はその表面的なものに惑わされてしまう。指の先の月を見ずに、指ばかりを見てしまうというわけです。

 柔らかくも奥深く、そして洒落の効いた仙厓和尚の書は当時から大人気となり、多くの人が和尚に書を頼みに来ました。あまりに皆が紙を置いていくので、「うらめしや 我がかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいてゆく」と嘆くほど。でも、頼まれれば嫌とは言えず、快く描かれたようです。茶目っ気たっぷりの書を。
 例えば、新築の家のお祝いに一首頼まれた時には、「ぐるりっと 家を取り巻く貧乏神」と書いて筆を置き、後から「七福神は外に出られず」と付け足して家主を翻弄したり、円相(悟りを表す○を描いた、禅画の定番)を描いたかと思いきや丸い饅頭で、「これ食うて茶のめ」と茶化したり。言葉や記号に惑わされる我々の見当違いをからかうかのようです。

 また、時にはこんな川柳も詠まれました。
「よしあしの 中を流るる 清水かな」
 フランスの哲人パスカルは人間を、弱いけれど風に折れない葦に譬えましたが、仙厓和尚はヨシともアシとも読む葦を良し悪しに掛けて、その中を流れる水に人間を譬えました。人間には善意も悪意もあり、世の中は良いことも、残念ながら悪いことも起こる。上っ面ばかり見て良いだの悪いだのと、勝手な判断をしたりされたりもする。それでも、我々は偏ることなく濁ることなく、清らかなのだ。清々しく微笑んでいよう。月を指差してニコニコと微笑む布袋さんを見ていると、そんな仙厓和尚のお心が見えてくるような気がいたします。

草野榮雅 拝