大谷選手の元通訳の裁判やオンラインカジノの報道を見る度に、「ああ、私は賭け事に弱くて本当に良かったなぁ」と、心から思います。競馬もパチンコも麻雀も、試しに何度かやってみたことはありますが、勝てたことが無い。だから嵌まらずに済んだのでしょう。勝負事に弱くて、本当に良かった。ええ、決して負け惜しみではなく、本当に。
負け惜しみのことを、英語ではSOUR GRAPESと言います。イソップ童話の「酸っぱい葡萄」ですね。お腹を空かせた狐が美味しそうな葡萄を見つけたのですが、実はどれも高いところに生っていて、いくら飛び跳ねても届かない。狐はとうとう葡萄を諦め、「あの葡萄はどうせ酸っぱいに決まっている!」と捨て台詞を吐いて別の食べ物を探しに行くという話です。これは、自分が手に入れられなかったものの価値を下げることで感情のバランスを取ろうとする心の働きと言われています。例えば、旅行が中止になった時に「無理をして行っていたら、大変なことになっていたかも知れない」と考えたり、欲しいものが買えなかった時に「どうせ無駄使いになるんだから、むしろ良かった」と諦めたり。自分の不運や不足が理由では悔しいので、それほど求めていないことにして結果と心を一致させる、つまり自分を納得させるわけです。ただの誤魔化しに聞こえるかも知れませんが、変えられない状況についてクヨクヨし続けるよりは、よっぽど前向きです。それに、この「酸っぱい葡萄」の狐は、事実をねじ曲げているわけではありません。葡萄が甘いか酸っぱいかは確かめようが無い。狐は自分の甘い期待や想像を捨て、「あれは酸っぱいだろうから、手に入らなくて良いのだ」と、不本意だったはずの状況を肯定しました。そして行動の自由を得て、「他の食べ物を探す」という、今やるべきことに気付きます。変えられない現実に対して自分の認識を変え、葡萄に執着していた過去と決別して未来的思考に舵を切ったわけです。狐、すごい。こう書くと、単なる負け惜しみには聞こえませんね。
不満や不幸の全く無い人生など有りませんが、時にはこの狐のように「これで良いのだ」と、今の状況を肯定してみるのも良いかも知れません。今、自分が手にしている状況の有り難さや、今自分が専念すべきことに気付くためにも。