オリンピック | 千葉県船橋市のmeiji 牛乳Delivery日記

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千葉県船橋市で明治牛乳の宅配をしています、明治牛乳三山宅配センターです。センター長と従業員のブログです♪

高齢に成ると否応なく昔のことを思い出す。


話題も昔がたりが多く、若い者には受けないが時代が違うからとばかり否定できない事も多い。


時代は多くの部分で繰り返すことが多いのだ。今あった事でもどこかで聞いた様な気がすると考えて見ると、昔の体験の繰り返しと言うことがしばしばある。


子供のころの昭和10年代、働き出した20年代は世の中の変化が大きくて目まぐるしい程だったが、それはそれで夢もあり、遊びも自分達の工夫で作りだして楽しかった思い出が沢山有る。


そして50年前の東京オリンピック直前には、東京の新橋から愛宕山近くの会社に働いていたから東京タワーが少しずつ出来上がるのをすぐ近くだから毎日見ていた。


また、東京中の小さい川はほとんど首都高速に変わって行った。


その頃の私は上野の先の方の根津神社のある宮永町と言う町に間借りをしていた。


大家さんは警視庁の警官で凄く真面目な優しい方、奥さまは明るくしたしみ易い未だ30代だ後半ぐらいだった?


字が上手なことが印象的で、引っ越してからもいつのころまでか丁寧に年賀状を頂いていた。


会社に通うのに都電で皇居前を通って毎日行っていたから、今の天皇陛下と美智子様との結婚式も当時の話題だった。


初めての民間人の皇后さま誕生に湧いたころだった。テニスが取り持つ縁で話題だった。素晴らしい美人で流石と言われたものだ。


オリンピックは10月で町中が祝福ムードと日本人の活躍に興奮して、平和のありがたさを甘受して喜びに渦巻いていた。


あれを機にTVは一気に普及して、生活もぐんと良くなった。オリンピックは日本の存在感を上げ、さらに交通網の変化と車社会の発展で一大変革につながった。


東京の町も一気に新しい活気に満ちた首都に相応しい形を整えて来た。


この大会は沢山の思い出を私達の人生に添えてくれた一大イベントだった。


5年後の2020のオリンピックは果たしてどんなものに成るのだろうか?


今いぶかられている数々は、あまりいい話ではないので、初めて経験する人達には待ち遠しいのかもしれないが、前回のオリンピック前後の日本の大発展に繋がった様な期待をしては無理がありそうだ。


商業主義に侵された大会は、猛暑の8月の開催と言う信じられない日取りも変えられない様で、果たして無事に大会期間を乗り切れる事さえいぶかられる。


もう一つの危惧は、安倍総理が福島はもう大丈夫と大見えを切った原発のその後が、詳しい学者達の意見を聞くと本当に怪しく、心配であること。


そしてオリンピックの特需が終わった後の日本経済にどんな影響が待っているのかが見えない。


アベノミクスと言われる政府の指標が極めて怪しく響いてくるのだ。


もうその頃は安倍首相は居ない筈だから。


これらの総てがき憂に終わるなら歓迎すべき事も多いのだが。


でも世の中は繰り返しが多いから、いい方に取らなければやりきれないのだ。期待しよう。