日本人で初めてエベレスト登頂した植村直己(うえむら なおみ)の名は忘れることができません。

 

1966年 モンブラン単独登頂

同年 マッターホルン単独登頂

同年 キリマンジェロ単独登頂

1968年 アコンカグア単独登頂

1970年5月 エベレスト登頂

同年8月 マッキンリー単独登頂(この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となる)

N1978年 犬ぞり単独行としては世界で初めて北極点に到達

 

まさに「稀有な日本人」であり、植村さんは世界で最も有名な日本人になったのでした。そして、

 

1984年2月12日、43歳の誕生日に、「冬季のマッキンリー」に世界で初めての単独登頂を達成。しかし、下山中に消息不明となり、現在も植村さんの遺体は発見されていません。最後の無線通信が交わされた13日が命日となりました。

 

マッキンリー山(現在はデナリ山)はアメリカ・アラスカ州にある北アメリカ大陸の最高峰で標高6190メートル。夏でも山頂は-30℃、冬場では-40℃にもなる過酷な山であり、植村さんは1970年の夏季の単独登頂に成功していますが今度は「冬季の単独登頂」に挑戦したのでした。

 

植村 直己 1941年2月12日生まれ

 

命日 1984年2月13日(43歳)

 

N(ネイタル)の配置からは多くを指摘することはできませんが、射手座の火星が太陽とセクスタイル、月とトラインはいかにも冒険家(射手座)です。

 

太陽と天王星がスクエア。これは植村さんが「単独登頂」にこだわったことに関係しています。もちろん植村さんもグループ登頂をしていますが天王星が太陽に影響を投げかけていたことは疑えません。太陽スクエア(90度)天王星は、危険をかえりみない性向をつくるのです。定義的に反骨性、独行性の意味で、気分的には「平凡では面白くない」という気性を意味します。私もこのスクエアを持っていますからよくわかるのです。

 

命日1984年2月13日のP(プログレス)を見ると、

 

P土星=N太陽/N冥王星(00接近09)

 

この長期形成が基調として大きいのです。

 

Nを90度円に変換してみれば、太陽/冥王星=海王星が成立していることがわかります。

 

N太陽/N冥王星は「12定着53」。N土星は08牡牛座55。その差は3度58。この誤差をPはジリジリとつめていき、40代前半の正確なコンタクトになったのです。

 

R(リターン)1983では太陽/土星=海王星(直接、0度08差)がつくられています。海王星は「28射手座36」。この位置はN海王星(27乙女座10)とは1度26差ですが、N太陽/冥王星(12定着53)とは0度43差です。この海王星の示唆」「見えなくなった」植村さんを象徴しているようです。

 

植村さんは辛いとき「自分はひとりじゃないんだ」と自身を叱咤激励していたといいます。たくさんの応援を背に頑張っていたのです。それは冥王星の機能です。おそらく「記録的達成」の表示であるN木星/N冥王星(定着5度)にASCかMCが=する生まれではないかと想像しています。

 

二度と表れそうもない偉大な日本の登山家・冒険家、植村直己。この名は死ぬまで忘れないでしょう。