橋本航征先生と私は明暗塾(門馬寛明主宰)の同門で、年令も近く、近影の老化による”痩せぶり”も似ていて親近感を感じるのですが、先生の直近のブログ記事について意見を記しておきます。

 

悪口を言うのではありません。しかし、橋本先生の以下の記事は占星術を学ぶ方々に「余計な概念」を与える危険があると感じたので同じプロとして違う視点を示しておきます。問題の記事は以下です。

 

6月23日 占い師側もボイドは注意

6月25日 ウソをつかれる日

6月26日 ボイドは心配を打ち消すとは限らない

 

すべて「月のボイド」に関する指摘です。要約すると「この期間(月のボイドの期間)は、依頼者が占い師を試そうとしたり、すでに結論が出ていることを質問することがある。古い時代の占星術師は(この期間の)依頼者に帰ってもらってたそうです」と。要するに、この期間の依頼者は正直でない可能性があるため占いのタイミングとして良くないということです。

 

古い引用ですが、橋本先生は、1997年10月刊行の「路地裏・占い読本」(魔女の家BOOKS)の中で神戸児童殺人事件(酒鬼薔薇聖斗事件)を取り上げ、被害者・淳君が自宅を出た時刻のチャートを掲載し、「月がボイドにあった」と指摘しています。そして、月がボイドにある時間帯は人間の理性が働かないと言われている、と記しています。

 

なるほど、月は25射手座46にあって「ボイド」です。しかし、この度数を見れば、4度13、つまり、その後の約8時間強は世界中で「人間の理性が働かない」ということになるでしょう

 

占星術師の机上概念です。「トランジット水星が逆行しているときはミスが生じやすい」と同質の、決して証明することのできない占星術師特有のパラノイヤ(妄想)といわなくてはなりません

 

 

橋本先生の記事で持もう1点。

 

6月17日の「何でもかんでも聞くんじゃない!」(!まで入っていて、一瞬目を疑いました)

 

「何でもかんでも聞くんじゃない! 本当に聞きたい大事なことだけにしなさいヨ」とあります。ボイドの記述といい、よほどカチンときたことがあったのでしょうか。

 

しかし、依頼者であろうが生徒さんであろうが「聴きたいことがいろいろある」のは自然なことです。それを「つまらない質問、意味のない質問」、「気楽に聞くんじゃないよ」と斥けるのはいかがなものでしょうか。私にも橋本先生にも「判らないことがあり聞きたいことがいっぱいあった時代」があったはずです。まして依頼者ならなおのことです。

 

私が主催する代々木レッスンでは「聞きたいことがあったら講義中であってもかまいません。手を上げてください」と伝えています。「疑問点をそのままにしておくのは誰でもなく、皆さんご自身がソンなのですよ」とお話ししています。

 

お陰様で代々木レッスンは皆さん仲が良く、明るく自由闊達な雰囲気に満ちています。

 

私はどんな質問でも歓迎します。質問にはレベルの差はありますが、どんな質問でも聞く側にとっては疑問点なのですから。

 

「今、ボイドだ。あなた私に正直に話してないでしょ。私を試そうとしているのかな?」などとは考えません。いいじゃないですか。正直に話してなくても。試してみようとしていても。それはたいした問題じゃありませんよ。

 

なお私はボイドは採用しませんし、ホラリー占星術も使用しません。日々の悩みは「DCチャート」に尋ねます。