先週の配信を休みましたが、最近私の配信が少し不活発になっているとお感じになっている方がいらっしゃるかもしれません。そう感じることは正解です。
人の活動は年代によって少しづつ変わっていきます。身体が若い時代、それは活発な生産・開発が行われる時代です。そして、歳を重ねていくうちにエネルギーは鈍化し、人生のあり方も違った形になっていきます。
さて、私には以前から「出生時刻を知りたい人物」がいました。しかし、その願いは今も満たされていません。
俳優、松田優作 1949年9月21日~1989年11月6日 山口県下関市出生
いうまでもなく、日本テレビ「太陽にほえろ」(1973年~)のジーパン刑事役で注目され、角川映画「蘇える金狼」(1979年)、東映映画「野獣死すべし」(1980年」で人気沸騰、米映画「ブラックレイン」(1989年)公開後の11月6日、癌で40才の生涯を終えた日本映画界の鬼才です。
もう亡くなってから36年がたちましたから若い方には馴染みのない名前でしょうが、今も彼の人気は根強く残っているように私にとっても、とても気になる俳優なのです。
先日、「越境者 松田優作」2010年7月1日 新潮文庫 著・松田美智子 という本があることを迂闊にも初めて知り、すぐ購入し、読み終えました。松田美智子さんは松田優作の最初の奥さんで、彼との間にひとりの娘さんがいます。
松田優作は日本人の男性と韓国人の母親との間に生まれ、父は彼が生まれる前に家から去り、彼が生まれたあとすぐ亡くなっています。法律上、彼は本名・金優作という韓国人でした。1973年12月に念願の帰化申請が許可され松田優作が本名になりますが、それまでの彼は長い間、自分が法的に韓国人であること、遊郭の一角で生まれ育ったことに強いコンプレックスのようなものを抱えていたと松田美智子さんは記しています。
松田優作のチャートにある、乙女座の月と土星のコンジャンクション を見てなるほどと感じました。このコンジャンクション(合)に対して神経質であるとか、暗いなどの”性格判断”を披露することは間違いとはいいませんが、とてもつまらない、陳腐なことです。私たちはアスペクトを言葉にする前に、そのアスペクトの色調を感じることから始めなくてはなりません。彼の乙女座における月と土星は何を経験し、どんなことを感じながら生きてきたことを意味するのか。私たちはいろいろと想像してみることができるのです。
松田優作の独自の魅力は、太陽=金星/冥王星(直接)にも表示されています。金星/冥王星のコンビネーションは「魅了する」という意味です。太陽が乙女座ですから「乙女座的な魅力」ということで、あの男性的な表現の中にある微妙な陰影がいかも乙女座的です。
太陽/天王星=冥王星(直接)が彼の命を制限した形成の1つですが、彼の仕事に対する峻烈ともえる姿勢は命の危険があるにもかかわらずブラックレインに出演したことでも明らかで、彼は「長生き」を目指していたわけではなく、己の生の意味、存在の意味をこの世で証明しようとしたのではないか、その渇きに似た衝動こそ松田優作の根源であるように感じます。
松田優作は政治的影響力があった妻・松田美智子さんの父の力を借りて帰化を実現しましたが、結婚生活は6年で終わりました。彼の前にその後2番目の妻になる若い女性(美由紀さん)が現れたからです。それでも亡くなるまで美智子さんとの間に生まれたお嬢さんの誕生日には3人で会っていたようです。
松田優作の「疾走するような生き方」はASC射手座を連想させますが、まだASCの確信は持てません。とにかくめいっぱい生きたのだと思います。
ただ、同書の最後で松田美智子さんが「ひとつ残念なのは、入院中の優作が4人の子供たちをほとんど寄せ付けなかったことだ。飯田さんの証言によれば再婚後に生まれた3人の子供たちが見舞いに来ても、すぐに追い返していたという」と記しています。彼は死の少し前から怪しげな精神世界に入って行ったようです。「彼が自分の血を受け継ぎ、未来へとつなげてくれる子供たちを抱きしめ、語りかけて、一緒に過ごす時間を持っていれば、般若心経を唱える以上の幸徳があっただろうと、私は思う」と結んでいます。
著者、松田美智子さんの誠実で暖かい視線の中に、冷静に評価する目があります。医師の在り方にも少しの疑問を投げかけています。
341Pには、優作が「悪い星を持っている」と話したフローレンス・ジョイナー(米短距離界の金メダリスト)は、1998年、くしくも優作の誕生日と同じ9月21日に心臓発作で死亡している。享年38才だった。
とあり、占星家の私はこの一文にビビッときます。松田優作は星という運命の概念を持っていたのでしょうか?
来月20日で「代々木レッスン」はまる3年を終え、4年目に入ります。東京代々木は私が師・門馬から教えを受けた、私にとっては聖地ともいえる場所です。そこで立てた旗をできるだけ長く、ヨレヨレになるまで(笑)立て続けたいと願っています。
了