上郷城(愛知県稲武町大野瀬上郷城山) | えいきの修学旅行(令和編)

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 天正9年、名倉奥平信光は、信長の命により三信国境の城を固守するよう命じられた(愛知県史資料編織豊11 1463 私は、立地と出入口の工夫から、小田子砦もそのうちの一つではないかと考えている前記事小田子砦参照)。

 宮坂先生は2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』(郭名を同書に準拠し、同書を参考に記述する)のなかで、この上郷城をそう比定している。

 武田勝頼滅亡によって、この砦の任務は終わるとし、極く簡単なつくりであるが街道を監視する砦として急造したことが伺え、一年もしないでその任務を終え廃城になったとしている。

 美濃、三河、信濃の境目の城として先記事で書いた小田子砦から矢作川の上流(信濃境方向)に直線約5㎞、飯田街道を眼下に見ろし、現県境迄約1.3㎞の位置にある。https://yahoo.jp/vf92Wh

 

尾根両側を急壁と沢に守られた尾根上に、高所から尾根先に郭1、2、3と置き、後背に堀切でまもる。

 

登路は郭1と2の付け根に入るが、城道であるかは不明。

 

郭2に取りついたところ

左、郭1に登る。

 

登路のとりつき

 

沢からの登路

社のための路か。

 

 

1を見上げる

 

1への登路は2折れだが、これも社の路か

 

1へ

出入口かどうか…。

 

郭1

 

後方高く社

村の産土社城山八幡と蔵王権現が祀られている。

 

社の裏は土塁様だが、社造成時の土かもしれない

 

後背は堀切で守る

上幅7m

左は沢の水場に降る。

沢の水場

 

後背尾根から上郷城

 

社から郭1

 

郭1から2を俯瞰

 

郭2から郭3

区分けする段差がある。

 

段差

西部には石積か

 

 

郭3下(尾根先)にもレを横にしたような帯郭(通路?)がある

 

崖で途絶。

降りて、もう5mほど先も見ましたが、同じような崖でした。

東の沢の、こういった工事によるものかもしれない

 

尾根先先端付近から見上げる

 

側面から先端付近

 

登り口

郭2まで12分。

 

参考文献 

宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版、p.414