2019信濃一発目
鹿谷城
信濃国の空の青さ
安曇の仁科氏、牧之島の香坂氏との境にあたる(登り口設置説明板)。
ズーム
宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版に準拠し、おおよその構造位置を書き込んだ。
登り口設置説明板には、松崎氏に関する伝承を記しているが、宮坂先生は、築城者等は不明とし、武田氏時代、上杉氏時代にも物見として使われたのではないかと想像している。
主要部
郭4下から
登った先に出入口が掘り込んで造作してある。
郭4出入口
単なる物見の山ではない。
石積?
郭4
4内から
舳先から開口をずらすことにより、舳先から登坂者を監視でき、かつ堀込(枡形)を抱き、迎撃を集中できる。
張出には至らない到達構造だろう。宮坂先生が武田の他に上杉の使用を書いているのはこういった造りのことか。
4から主郭
導線は左(西)回り。
導線は直上郭1の監視を受ける。
導線
地元の方が鎖を張って安全対策をしてくださっているが、戦闘時は、頭上からの妨害をを受けながら進まなければならない。
主郭は大岩(岩盤)の上にある。
妨害を喰らえば、ここを落ちる
主郭を乗せる大岩
この山は、信仰の対象だと悟る。
主郭への入り
出入口の造作であろうか(後世の造作かもしれない)
うぃ
鹿
谷城主郭
東辺に土塁。
石祠は地震の神様という。
地震にも揺らがない大岩に対する畏敬の念がその信仰か。
導線を俯瞰
南東辺から郭4を俯瞰
南東辺から主郭
写真奥は北西で、堀切が入る。
主郭北西
堀切が入り、郭2,3。
堀は上幅14m
斜から
堀に守られた主郭北下に小郭あり
北尾根
郭3の北
右側(東)、竪掘り状のえぐり(竪堀痕か)有。
竪堀状のえぐり
ひと高所こえて大岩が目に飛び込む
土橋にもビビりだが、大岩にも畏敬の念
切石と木札がある
信仰の山が城になっている。
切石の背後
北アルプス
安曇野仁科氏との境に近く、争いが絶えなかったようだ(登り口説明板・宮坂本)。
南東尾根(登り口へ)
郭4下の稜線
突端高所の東を回る
下ると土橋。高所はその土橋を監視。
突端高所から土橋を俯瞰
稜線で界が分かれる。
人を超えた力による結界。
高所の回り導線
監視下、通過は困難なのではないか。
城外側から
そして土橋
城外側から
こころなしか造作が新しい感を受ける。
この先110mほど降ると郭5
郭5へ下る手前に、また高所回り込み
鹿谷城、稜線高所回り込みを巧く関門としている。
側面高所から出入りを監視
上杉レベルでは、かなりハイ。
城外側から
買い被り過ぎか。
うぃ
郭5
大手の畑と伝わる。
下方に二段あり
登り口
峠の頂から尾根通しに道がある(写真左)
峠には長野市営峠バス停、旧信級小学校がある。
平成24年信級札所石仏めぐりの会設置の「鹿谷城址について」説明板あり
ここから郭5まで約10分、郭5から主郭まで約16分(写真撮り々)。
参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.462-3
おまけ
中央気高く妙高山か
四周、眺望素晴らしいです。