大昌寺と大昌寺山城
福平城の南約800m、北北東約1kmに円光寺館の南南西約1kmに位置する。
大昌寺山城概念図
宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図。
宮坂先生は本城福平城の支城として築城されたものと推定している。
北東面に横堀を巡らせている。この横堀は前面に土塁を備え、背後に高く土塁を備えない郭1北東面が控える。前面土塁を備えた横堀、郭1の二段の防御施設であろうか。とすれば、天正期上杉圏下に付加された防御施設かもしれない。
また、寺に近接し、郭のとり方が単純なことから、あるいは寺の城の可能性もあるのではないだろうか。
大昌寺
常ならぬ美しさと威厳。
身震がいした
宮坂先生は『長野県町村誌』から、「曹洞宗高府村明松寺派なり、本村の御南の字方清水にあり。、寺伝によると永昌(1504~20)の頃溝口伯耆守開基し、密造寺と号し、真言宗なりと云ふ。溝口氏没落後廃絶し… 」と紹介している。
また、鬼女紅葉ゆかりの寺でもある。
城は墓地を登る
登り切ったら、矢印部からとりつく
お寺に近く、比高も45mなので易く考えていた。
1分ほどで社の跡に至るが、断念しようかと思うほどに藪がきつかった
社の跡
嘆くなかれ、そこは既に城の北東隅に隣接している
北東面は前面に土塁を備えた横堀を巡らせている。
後背郭1には北東辺縁に土塁を備えていない。
前面土塁と横堀イ
倒木の奥に土橋。
土橋
郭1への導線
まっすぐな坂登路。
堀込などの出入口造作はない。
坂から土橋
郭1
45×25m程の長方形で、削平はされている。
写真中央やや左に祠の址。
もしかして、お寺?
北東辺から横堀線
北西下に帯郭
南東下に山の神
南東辺には土塁
土塁下は堀ア。
土塁郭内側中腹に石仏
わずかばかりお供えしました。
土塁下に堀ア
幅7m。
北東下方
横堀イと合流。
南西下方
山の神も囲う。
山の神
山の神の南東横を囲う堀ア
山の神から下方から堀ア
さきほどの仏様
堀アに面し、土塁からやや引いてお座りになられている。
なにをご覧になられているのか。
また来ます。
参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.380-1