藤沢館(山形県鶴岡市藤沢) | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 上杉圏の畝状構造を、能登、越中、北信濃、越後の城で取り上げてきたが、出羽庄内の上杉進出圏にもあるという。
  能登、越中、北信濃、越後での畝状施設は、防御構造として考えているが、出羽のそれは、破城に伴う構築(破壊)のようだ。
 天正16年の本庄勢による庄内侵攻、あるいは同18年の景勝精鋭による出羽国検地・庄内一揆の過程で、在地勢力が利用できないように破城したということか。
 
 近所の撮影絶好時期が過ぎ、北信濃も緑が勢いづいてきて、ならば北上じゃ!と出羽に向かいました。
 しかし、ろくな予習もなく縄張図だけ携えての出撃で、思いがけない苦戦を強いられることになりました。
 本記事は、城の紹介・考察というより、出羽における苦闘の記録です。
 
イメージ 2
まず、七日台砦
 
イメージ 4
西下から
聞き取りでは、城の存在を知る人は居られませんでした。
あんなとこ、人はいかないそうです。
 
イメージ 3
行く人もいる
修行の域を超え、苦難である。
 
イメージ 1
尾根上に到達
しかし、もういい。
畝構造を確認する意欲が失せてしまった。
 
次いで石堂山館
 
イメージ 5
あれが石堂山館だと思うのだが、近づけず
 
藤沢館
 
イメージ 6
ここのみ城域に到達、畝状構造を撮影。
撮影とは言っても、近所の特権のような明瞭な遺構写真が撮れたわけではない。
あくまで苦闘の記録である。
 

 
イメージ 10
湯殿山の碑から入る
 
イメージ 9
館小路
 
イメージ 11
南西尾根に取り付く
 
イメージ 12
南西尾根伝いに主郭を目指す
七日台砦が酷かったので、行けそうな気がした。
出羽まできて、収穫無く帰れるか。
 
イメージ 13
城道の虎口だと思う
 
イメージ 14
最下段(上から9段目)の郭内
 
イメージ 15
いちおうルートを壁下に監視できる構造のようだ
 
イメージ 16
八段目の壁
 
イメージ 17
虎口か?
 
イメージ 31
三段目か四段目の東隅
この石構造も虎口ではないか
 
イメージ 18
三段目
西面は、急壁。
 
イメージ 19
西面急壁
城であることを実感。
 
イメージ 20
あれが、ふくろう岩のようだ
 
イメージ 21
ふくろうというより、人面に見える
東北の神秘か。
私が確認に来たのは、これではない。
破城痕跡としての畝状構造である。
 

 
 
イメージ 22
二段目
二段目は、西辺縁に向かって3条の畝がある。
ここから上部が主城域として破城の対象となったのであろうか。
 
イメージ 23
2段目西辺縁に向かって刻まれた畝…
みえるであろうか。
 
イメージ 24
私にはみえる…
 
イメージ 33
二段目東部(主郭南下)
写真奥、左に上がり、虎口に接続と観た。
 
イメージ 32
主郭南面淵
畝の刻みが見える。
 
イメージ 34
あれを畝の溝ではなく、虎口とみた
 
イメージ 35
木が横たわっているところ
 
イメージ 36
どうか?
 
イメージ 37
中から
 

 
イメージ 8
主郭
郭中を東西に一本長く溝が掘られている。
 
イメージ 26
中央部
 
イメージ 25
辺縁は壁に向かって刻まれている
 
イメージ 27
この構築、防御施設ではなく、主郭をつぶす意図の破城痕であろう
 
イメージ 28
執拗である
 
イメージ 29
北西隅
 

 
イメージ 30
北西下
壁下も畝状空堀でつぶしている
 
イメージ 7
 壁下削平地や緩斜面の畝状から堀は、壁に垂直に構築されることが多いが、ここも横であり、削平を潰しているのであろう。
 
 近所の特権の残雪効果で明瞭に遺構を撮影できた入河沢城・家ノ浦城とは異なる記事構成でしたが、出羽苦闘の記録として、また畝状構造の破城における形態をお楽しみいただけたら幸いです。
 

 
イメージ 38
地権者から、おみやげに孟宗をいただきました。
ありがとうございました。
 
主郭に、上杉の破城痕としての畝状構造があると話したら、たいへん興味をお持ちになられました。