入河沢城2 | えいきの修学旅行(令和編)

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入河沢城2
   
 2では、主郭から東尾根、次いで主郭①・①´周辺、次いで北尾根の私が特記したいⅡ構造を辿ります。 
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 ○東尾根は、細く急に降り、尾根稜線上にコ、サ二本の堀切を入れ、約120m先に郭④を設置し備えている。
郭④から南に派生する尾根は堀切シで、北東に伸びる尾根は急壁で城域を区切っている。
東尾根との接続は、北尾根堀エと東尾根堀コへのトラバースであろう。
 ○北尾根には、Ⅱ構造(橙囲い)の、 前面に土塁を備えた浅い堀オを設けている。また堀エラインから西尾根へ接続している。 
   
 Ⅱ構造は遠藤公洋が(2004)「戦国期越後上杉氏の城館と権力」と(2009)「髻大城と長野県北部の城館遺構ー横堀遺構に着目した再評価の視点ー」のなかで、緩斜面の設けられた塹壕状遺構(2009は土塁を伴う浅い堀)と背後の切岸、切岸上に設けられた土塁を伴わない削平地がセットになったプランを天正期上杉の防御施設としている構造の類型と考えた。
 
主郭(南から)  
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12m、長さ20m
まず、右、東尾根を降ります。
 
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主郭東隅
 当初、これは無理だろうと思ったが、北、南尾根双方とも東尾根トラバース接続は不可能で、ここを昇降できなければ接続できないと考え、思い改めた…。
 
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行くか?
私は、行きました。
常人はお止めください。
幸か不幸か、緑のところで、いったん降下停止できそう。
攻め登るにしても一列で矢の的になり、また両側の崖に降り落とすことも容易であろう。
 
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幸にも停止
停まれなかったら、どうなってたんだ。
 
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その先
枝に掴まりながら慎重に。
もう二度と行きません。
これは、接続ではなく、伝い来る者への備えであろう。
 
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東尾根稜線上堀コ
左から北尾根堀エからのトラバースルートが入っていたと考える。
 
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斜から
残雪で深さはわからないが、城内側が高く、遮断機能は高いのではないか。
 
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北尾根からのトラバースルート
崩落個所を整備し、遊歩道を設置する計画である。
 
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郭④を目指す
途中に堀サ。
南に派生する尾根は堀シで断っている。
 
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堀コーサ間の東尾根稜線上は、削平されたようにも見え、郭利用もできたのではないか。
 
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南下方に竪堀状の雨裂
 
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笹の間に残雪でかろうじて堀サ
 
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掘サ
刈って、現出。
 
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東尾根高所郭④に接近
南に派生する尾根は堀シで断っている。
 
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掘シ
木が邪魔。
断つ凄みを感じる堀切である。
 
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あいかわらず木が邪魔
 
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上から
断つ凄み。
東尾根城域南限であろう。
 
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郭④
天水溜のような窪みがある。
 
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天水溜のような窪み
 頸城郡内の城館調査をする佐藤春雄は、近隣の尾根上で見張る城砦に類似構造があり、天水溜ではなく、防御施設としての構造の可能性を指摘している。
 
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北東端
 
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壁下一段あるようだが、城域北東限であろう
 

             
主郭①・①´周辺
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  もう一度主郭(南から) イメージ 1
 ○左(西)下から奥(南)下に郭①´が付随し巡る。
  左①´急壁下に西尾根郭③が配されるが、接続していない。
  西尾根郭③には①´北端手前西から北尾根の堀エに降りて、トラバース接続していたと考える。   
堀エからは東尾根にもトラバース接続していただろう。
 
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西下から北に帯郭状に郭①´が付随する
西尾根には急壁で接続しない。
 
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急壁下西尾根
 昇降不可能。
 
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①´北部
 
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郭①´北端から振返る
 

 
北尾根
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①´北端手前西から北尾根の堀エに降りて、堀エから西尾根郭⑦へトラバース接続)したと考える。堀エからは、東尾根へも(現況では崩落あり)トラバース接続していたであろう。
郭⑥北切岸下に、北に土塁を備えた浅い堀オが設けられている。この部分が私が特記するⅡ構造である。
掘オは前面に胸壁とする土塁とする防御(弓・鉄砲で射撃する)陣地で、後背上段に土塁を伴わない削平地(郭⑥)を伴う上下二段の防御施設と考える。

 

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手前西から北尾根の堀エに降りる(積雪時は見えず、草刈り後に確認)
 この導線は郭①北端によって側面頭上から監視を受ける。
 
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壁下に堀エ
は掘としたが、堀としての機能はないのでないか。
郭⑤と区切る土盛り(土塁)に意味があるように思える
左に西尾根へ、右下に東尾根へのトラバースルートの起点となり、城内道の関門である。
 
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その関門は、郭①´北端が厳重に頭上監視
土盛りは、通行を壁下の際に限定するための構造か。
 直上から監視・迎撃し易く、侵入者の郭⑤への展開を防ぐ。郭⑤には城兵が展開、頭上とで挟撃できる。
 
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西尾根へのトラバース
3で
 
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東尾根へのトラバースルート
 積雪時、通行を試したが不可能だった。しかし、整備時に地表面を観察すると、崩落があり、堀コ付近にルートが存在したと考えなおした。
歩けるように整備を検討している。
 
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堀エと郭⑤
 
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郭⑤北切岸下に郭⑥
郭⑥北に、私の特記構造Ⅱ。
 
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Ⅱ構造
掘オは前面に胸壁とする土塁とする迎撃(弓・鉄砲で射撃する)陣地で、後背上段に土塁を伴わない削平地(郭⑥)を伴う、上下二段の防御施設と考える。
天正期上杉の防御施設と観た。
 
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Ⅱ構造
笹が邪魔でなんだかわからん写真で恐縮です
 
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掘オ
 
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側面から
前編で見てきた南尾根の堀切、これから辿る西・東尾根の堀切とは、構造が異なる(浅く、遮断を意図した堀切ではない)。
堆積を考慮すると、兵が堀底に立ち、前面土塁を胸壁とし、尾根を進み来る敵を射るに丁度いい。

 

 私は、天正期上杉の堀底陣地と観た。
 
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前面土塁(胸壁)
土塁を胸に充て、尾根を狙う。
 
 しかし、疑問もある。堀底陣地に居る兵の退避経路がわからない。上段陣地の援護があるとはいえ、敵前で背後の切岸へ揚がるのは危険であろう。たんに、掘って前に盛っただけかもしれない…。