蓮城(長野県飯山市蓮城山) | えいきの修学旅行(令和編)

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  蓮城は、野尻湖周辺ではありませんが、武田の飯山城攻めの前線になった城であり、武田方が飯山城に対した城である平沢城ー替佐城ー毛見城は既に書いてあるため、この機会に書いておきます。                  
蓮城(南西から)
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千曲川の蛇行部の小山に築かれている。
 千曲川を前に、もとは上杉方の飯山城防衛の前線であったようだが、武田に奪われ、武田による飯山城攻略の前線砦となった。永禄11年、信玄は島津弥五郎に蓮200貫文を与えている(戦国遺文1326).。
宮坂先生は飯山城攻めの際の信玄本陣という伝承も伝えている。
 
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千曲川に沿った直下には国道117号が、撮影地点はJR飯山線が走る。なんていう選地なんだ。
 
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東麓の小丸山側のみがやや緩く、大手と考えられるが、ルートはわからない。
 
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南、飯山城方向から
千曲川は洗わないが急峻。
小山と侮り、ここから這い上がりましたが、容易ではありませんでした。
                           
蓮城概念図
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愚図ですが、書かないと上達しないので、自作しました。
 小規模だが、千曲川、急峻な斜面に守られた要害で、千曲川を背に、飯山城に向かって土塁、郭を配している。郭2・3土塁は、通路を区画しているようだ。
図の上方突端から入ります。
 
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5分ほど攀じ登ると、飯山城方向突端の舌状地に至ります。
この奥に土塁を備えた堀が構えられており、ここは物見あるいは郭外ともとれそうだ。
 
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飯山城方向
飯山城まで直線で約5.6km
 
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奥に土塁を備えた堀が構えられている。
 
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手前に土塁を備えた堀
西端は回り込み阻止か、両側に土塁を沿えている。
東端も竪堀状に降りるが、現況では一部土橋通路状に通行できる。
 
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西端
竪堀状に降る。
土塁が両側に沿う。
 
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前面(飯山城側)の土塁
上杉土塁よりも幅があり、石積で補強してある。
 
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飯山城方向に構えられた防御線
郭3が上からこの防御線を掌握している。
 
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郭3から見ると、こう
飯山城から寄せる上杉勢が寄せる方向は、ここか、小丸山方向からの郭伝いであろう。
 
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東側、土塁が切れ、土橋状に城内に通ることができる
 
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堀東部 
竪堀状に降る。
 

 
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土橋状に城内に入る
緩い傾斜と、その上方に郭3
左、一段低く郭5
 
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一段低く郭5
宮坂図では郭とされていないが、削平がされ面積もあるため郭5とした。
 
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緩い段差を上がり
 
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郭3
奥、郭1切岸へ壁にあたり、左右(南東・北西)に分かれる。
 分かれるところ、土塁が設けられている。これは郭を防御する構造というよりも、通路を限定するというか通路を設けるための土塁ではないか。
郭1に在り、飯山城攻めを指揮する信玄本陣の造作に思える。
 
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郭1が迫る
まるで信玄に会いに行く気分。
郭1のこの面(北東面)には土塁が備わり、見通しを遮るとともに防御力を増強している。
まず左、南東の郭2をみます。
 
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左に郭2と区切る土塁
 
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もう一枚
 
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土塁は、郭1際は切れ、開口する
土塁が、郭2に接続する通路を、郭1切岸直下際に限定している。陣城的な構想の構築ではないか。
 
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郭2へ
 
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郭2を北東から
 郭2は郭1から完全な監視を受けている。宮坂図では南東隅へりを土橋状に接続したようの描かれている。また郭2南端、千曲川断崖近くに天水溜が描かれている。
 
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郭1南東隅へりを土橋状に接続し、降りた郭2南端付近の天水溜に連絡か。
 
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南東隅のへり
 
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南端千曲川断崖に沿って、明瞭ではないが、天水溜か
 
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この石ふきんかもしれない
 
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 南東下方に郭4・帯郭を経て山麓小丸山方面へ接続していたようだが、lこの笹藪は踏む込む勇気が湧かなかった。
 
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郭2南東端から郭3
 
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では、郭Ⅰ北面下際を西に回り込み、郭1へ行きましょう。
 

 
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郭1北切岸下際を西に回ります。
郭3南西隅はL型土塁(上写真とは違う土塁)で通路を区切る。
 
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L土塁
 
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土塁が通路を区画するとともに、郭1へのルートを守る馬出のような区画も出現させている。
 
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西の崖際に小帯郭も備える
 
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西回り、ルート上に小高く小櫓台状の堡塁がある。
 
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側面は頭上に郭Ⅰ
櫓台状堡塁は、郭1監視下、U字状に堀で抉りこまれ設けられている。
 
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櫓台状堡塁
堀で独立している。
左の堀を通路とし城戸を構えていたか。
 
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櫓台状堡塁南西
U字竪堀部
 
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郭1北西小帯郭方向
あるいは、架橋で郭1北西小帯郭へ接続した中継地か。
 
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虎口はないが、虎口になる小帯郭を段に経由
 
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左にあがり、郭1
北、飯山城方向(郭3側)には土塁を備える。写真奥下は郭2。右は南で、千曲川。
 
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南 千曲川上流方向
 上流は右岸に海津城、左岸には長沼城と、武田方が領域支配の拠点城郭を構築し、支配を固めている。千曲川の河川交通・運輸も、ここ蓮から上流は武田の掌握するところであった。
 
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南東隅から、へりを天水溜付近へ接続を試みたが、現況では無理。
 
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南から郭1
郭内は藪だが、奥に北面土塁
 
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飯山城方向(郭3側)北面土塁
 
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土塁上に祠がある
 
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土塁直下 郭2から壁にあたり、土塁で通路が左右に分かれるところ。厳重に頭上監視。
 
 蓮城、前線の小砦ではあるが、その前線の厳しい様相と、将来飯山城を攻める際に信玄本陣となろうことを想定した普請がなされていたと私は感じます。
 エキストラ募って武田本陣の備えを再現したら、武田の威風が現世に出現するのではないかと夢見てしまいます。
 戦国の遺風漂ういい城です。
 
参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版