亀山城1(愛知県新城市作手清岳字シロヤマ) | えいきの修学旅行(令和編)

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亀山城                    
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戦国期作手奥平氏の要害
 『愛知の山城ベスト50を歩く』によると、在城期間は「応永年間から長篠城へ変わる天正年間の時期と慶長7~15年に奥平信昌の四男松平忠明が城主となっている二時期が知られている」としている.
 
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←現地設置説明板より引用
上の写真は、北から見ています。
 
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亀山城主郭
 土塁が囲郭し、西(南西)と東(北東)に虎口が開く。北西面は遠景写真の側で急崖、南東面は土塁下に豪快な横堀を巡らしている。
 
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北西面土塁
遠景写真の側。
 
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一段、腰郭が巡っていたようで、主郭の東西両虎口と接続している。
 

 
南東面
 
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南東面土塁
下には横堀が巡る。
 横堀は通路となっていて、主郭西虎口前と東虎口前二の丸南西虎口と接続する。途中、大手口、南曲輪東脇の虎口とも接続する。それら通路、虎口を頭上からしっかり監視している。
 
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土塁上から
南曲輪東脇虎口
 
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通る者は厳重な監視を受ける。
 
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大手口もしっかり監視
横堀底、大手口は後掲。
 

  
東の構造を見てきましょう。
 
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東虎口1
(北東に開口ですが、紹介を簡易にするため、東虎口とします)
 
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虎口前、左は竪堀状に
切るが、帯曲輪に接続する通路であったようだ。
 
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虎口出ると二の丸
虎口両側土塁上からは虎口、虎口前、二の丸を攻撃できる。
 
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虎口出て左
竪堀状の通路。
 
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主郭北西面へ腰曲輪へ
東虎口前、二の丸に戻ります。
 
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二の丸
土塁が設けられている。
 
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二の丸の左(北)に、桝形様の虎口内構造がある。
改変?
 
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桝形様構造の先に虎口
食い違い構造を見せる。
 
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東虎口2 左右土塁囲いの郭、側面から虎口、虎口先を頭上から守る。
 
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辺縁の土塁に拠り、切岸下の削平地を見る。
 
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東虎口2を出ます
ここも両測の土塁が食い違いを見せる。
 
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二の丸辺縁土塁下を通る
 
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下ります
 
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城外へ
 
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城時代のものかわからないが、堀割道が走る。
   
では、今辿ってきたルートを攻め上ってみましょう。
 
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東虎口2が、食い違い、構える。
寄せ手に対し手前側が張出し、虎口を見えなくしている。織豊の逆。
二の丸辺縁土塁下に突き当たり、右折れ、右から左折れし回り込み、虎口に入る。
 
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繰り返す。
寄せ手に対し手前側が張出し、虎口を見えなくしている。
 
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東虎口2
 
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枡形様空間に入る
両側面から挟撃を受ける。
(改変かもしれない)
奥に主郭の出入口にあたる東虎口1。
 
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東虎口1
さぞ堅固な城門であったことであろう。
 
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東虎口1を斜から
この虎口も、両測の土塁の食い違いが明瞭。
 
この写真撮影地点より左(南)に主郭南東下横堀ゾーン、大手口と標柱される東へのルートが接続する。
大手口は複数伝承があり、利用時期によって付け替えがあったようだ。
 

  

二の丸から現地標柱大手口を見てきましょう。
 
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二の丸南西虎口先
 東の城外に至る大手口横に土塁で囲われた東曲輪が配置され、大手口・大手口ルートに迫る者に備えている。右方向は主郭南東下横堀底をルートとして、南曲輪、主郭西虎口から出たルートと接続する。
 
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右は主郭南東面切岸
際を横堀が巡る。
 
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土塁囲いの東曲輪
右横に大手口。
 主郭はもちろんだが、虎口やルートに対し、土塁囲いの曲輪が配される傾向があるようだ。東虎口2・その先のルートに対し、二の丸がそう。奥平の傾向と見ていいだろう。
 
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東曲輪は東下に大手ルートを監視。
右側面に大手口。
 
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横堀ゾーンも素晴らしいのですが、先に大手口を見てきましょう。
 
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大手口
ここの食い違いも、左・寄せ手側東曲輪が張出している。
 
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左に折れ、城外へ。
では大手口から攻め上ってみましょう。
 
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土塁囲いの東曲輪が正面から監視、当たり、左に折れ、右に回り込み大手口に至る。
ここも、寄せ手に対し手前側の東曲輪が張出し、虎口(大手口)が見えないようになっている。
この出入口構造も奥平の傾向と見ていいだろう。
 
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回り込んで大手口
 
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正面高地・主郭から監視を受ける。
もちろん、側面東曲輪からも。
右に進むと、二の丸へ。
左は横堀底を南曲輪方向、主郭西虎口先に接続する。
 
 写真、だだもれ気味ですが、普段挑む信濃や越中の城に比べ、比べようもないくらい歩き易く撮りまくってしまいました。お付き合いください。
 

主郭南東下を巡る横堀を見てきましょう。
 
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大手口入って、左。
主郭南東下を巡る横堀。
堀底ルートとして南曲輪、主郭西虎口先に接続する。
右側面頭上は主郭で、完全に主郭の監視下にある。
 
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長さ50mを越える豪快な横堀
北信の山城でみる武田の横堀よりも深く、城外側土塁の高さも高い。
 
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カーブ部、土塁が切れていて、南曲輪を仕切り、南曲輪下を巡るルートの虎口となっている。
 
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虎口
 
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虎口先、南曲輪下を巡るルート。
 南曲輪は、もちろんこのルートを見張るはずですが、西虎口前の構造としてその2で写真掲載します。笹藪ですが…。
 
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横堀は、主郭西虎口を出た先に接続する。
 
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西虎口でた先、接続部
 あまりに写真多くなってしまいましたので、2部構成にします。その2では、主郭に戻り、主郭から西虎口を出て西虎口前の構造を辿りましょう。
 
参考文献 現地説明板
       愛知中世城郭研究会・中井均編(2010)『愛知の山城ベスト50を歩く』、サンライズ出版