中小屋城(飯山市中曽根中小屋) | えいきの修学旅行(令和編)

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中小屋城
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中条城の北約400mn位置し、今泉氏の同族の中曽根氏の城と伝わる。
 中条城で触れたましたが、宮坂先生は『長野県町村誌』からの引用で「文明年間尾崎城主泉重治の六男、中曽根左衛門尉重道 之を築く。会々今清水重継と兄弟和せず屡争闘す。因て重道退去して中小屋城を築き、此の地を廃せしと云伝ふ。」とする伝承を紹介しています。また中条城と堀の掘り方などに類似点を認めるが、中条城ほどの厳しい改修は見られないとしている。
 上杉の防衛構想による改修を受けてない、外様衆の持ち城の形態と見ていいだろう。
 
 本記事記載の郭名・堀幅は、宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』に準拠します。
 
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中央の森の中に墓地があり、そこを抜けていく。
 
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墓地
後背の斜面上高地が中小屋城。
 
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斜面に雪道がなんとなく登路
 
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崖上から狙われ、なかなか堅固
 
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迎撃陣地か
 
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上部は屈曲も用いているようだ
 
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郭3には坂虎口で入る。
折れの奥に小郭が控え、なかなか厳重ではないか。
 
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坂虎口
 
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坂だけで枡形は掘られていない。
 

 
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城内
郭3の奥に郭2・郭1の天地
前面に急傾斜の登路、後背は土塁と半円形の堀切、堀切の先は細尾根で土橋を設けている。
南北両側は急崖で、この天地は堅固に守られている。
 
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北側にも低く一郭あるが、全山耕作されているようで、城郭遺構ではない耕作平地も含まれる。
 
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北の急崖
 
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南の急崖
 
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郭2
 
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切岸のうえに郭1
郭1は二段からなり、後背は高く土塁を盛り、土塁は背後に半円形の堀切。
 
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郭1へは北の一段を経て入ったか
 
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郭1
郭1は二段からなり、上段の後背は高く土塁を盛り、土塁背後に半円形の堀切を設けている。
 
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土塁を南側面から
 
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土塁背後、半円形の堀切
尾根には土橋がある。
 
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宮坂先生の測では上幅15m
 
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土塁高所
黒岩城とも連絡か。
 
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土塁高所から郭内
 
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土塁高所より堀切
堀底には南(写真左)から降りたようだ(後ほど辿ります)が、北(写真右)から降ります。
 

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北から降りますが、こちらは雪が無ければ通行は無理でしょう。
細尾根には土が設けられている。後で。
 
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中条城とは違い、一本のみ
それはそれで明快でいい。
 
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堀底
 
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堀底は南に半円に抜け、郭3に南で接続している。
 

 
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堀の背後、細根根を見てきましょう。
 
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細尾根上
26×6(宮坂測)の平地。
この先に土橋。
振り返る。
 
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一本だがしっかり遮断
 
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26×6の平地の先に土橋
どれが土橋って、これからわかります。
 
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これ
 
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明るく
 
 参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版