亀山城(富山県礪波市増山) | えいきの修学旅行(令和編)

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亀山城  
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 神保氏居城増山城に至近に在る。
 佐伯哲也(2013)『越中中世城郭図面集Ⅲ』、桂書房では、亀山城を新城とし「天正6年~9年の間に上杉氏が築城・使用し、廃城になったと考えられる」としている。初訪城時は、同書Ⅲが刊行前で、増山城に感動しつつ、おまけの出城をみるくらいの認識で立ち寄ったが、Ⅲで佐伯が縄張りから読み解く防御構想を目にし、開眼。同書を基に再修学 してきました。佐伯説に則り、亀山城を辿ってみます。
 
大面城・小栗山城と私の拙い説で紹介しましたが、修学を積み、佐伯氏の次元に近づきたいものです。
 
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増山城北、林道に登り口 すぐ
  
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 林道に沿って、西、砺波平野に向かう尾根が大手で敵が寄せる想定方面であり、堀切①で尾根を遮断している。 名称は越中中世城郭図面集Ⅲに準拠します。 
 
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 堀切①で遮断された敵は西尾根伝いに進攻できず、遊歩道の手前側、亀山城南西斜面から取り付くことになる。
  
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この堀切で遮断され 
 
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この南西斜面に取り付き登ることになる。
両翼左(西)右(南東)尾根からの挟撃の中、進まなけらばならない。
 ⑤が3方向の城道が分岐する地点で、まず⑤を目指し進みます。
  
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右には竪堀⑥と竪堀の奥に土塁つき迎撃小郭④ 
 
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屈曲し進みます。 
当然、西・南東(G郭)の両翼尾根から挟み狙われている。
 左に折れる先には先ほどの竪堀で遮られた迎撃小郭④
  
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竪堀、土塁で守られた迎撃小郭④ 
 
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城道が三方向に分岐する⑤地点 
まず右に折れ戻りG郭から郭伝いに主郭に向かいます。 
 
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G郭へあがります 
 
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G郭から主郭へ向かっては、階層的に郭が配され、上の郭が下の郭をしっかり監視、掌握している。
G郭は、上(高地)から、土塁つき迎撃小郭⑦と、F郭に監視掌握されている。
  
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G郭 
奥に高く迎撃小郭⑧
右下にもう一段帯郭 
 
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南下、一段低く帯郭 
 
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G郭奥 切岸で小高く小郭⑧に遮られる 
 
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小郭⑧の先は竪堀⑨で回りこみを阻止している。
平時は木橋でもおいて接続していたかもしれない。
奥の高地は主郭北東部A
  
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竪堀⑨上端
 
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G郭のうえ、F郭、E郭、主郭B部へと段々に高く連なる。
上の郭が下の郭を統制・掌握している。
降りながら、⑤地点に戻ります。
 
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記入なし 大きい写真
 
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さきに辿ってきた土塁つき小郭⑦、G郭
 
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⑦を側面から
 
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その2で。
 
参考文献 佐伯哲也(2013)『越中中世城郭図面集Ⅲ』、桂書房