樫ノ木城(富山市大山町楜ヶ原) | えいきの修学旅行(令和編)

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城歴は、「池田城と樫ノ木城」https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496891096.html

からご覧下さい。

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樫ノ木城遠景
 
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樫ノ木バス停
車止めるスペースあり。
ここを直進、登る車道を行きます。
 
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 樫ノ木集落の廃屋数軒と、車道左にお墓を通り過ぎて、右に石積列のある地点のすぐ先の右側空き地の奥が登り口です。(バス停からバイクで2分くらい)
 私は廃屋背後から取りつき、急登、かなり難渋しながらなんとか山道に出くわし、到達できましたが、ここから取りつけば、取りつき口のみやや困難ですが、あとはしっかり山道が残っており、到達できるでしょう。ただし、時期によっては藪化の可能性あり。
 
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車道右側 石列
これが目印
 
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この空き地の奥の崖を登ると、山道(このあたりは明瞭ではありませんが)が通っています。
 
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登り口
ここはやや困難です。
 
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とりついた山道
このあたりは明瞭ではありませんが、山道、わかると思います。
左には沢がありますので、音聞きながら沢に降りないように登れば大丈夫でしょう。
 
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山道、明瞭になります。
樫ノ木集落からの大手道でしょう。
 
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進むと、左にがばっと、右斜面には二条の竪堀が掘られ、大手の関門が構えられています。
関門抜けると城域大手虎口
 
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道の左、がばっと掘られた竪堀
 
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道の右、二条の竪堀が掘られている斜面
 
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関門通り過ぎて、二条の竪堀直上から
 
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抜けると城域大手虎口
右 土塁が道を狙っている。
 
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城域大手虎口
右に上の写真の土塁。虎口に至る道を狙っている。
竹1をキーに観てください。
竹といっても竹さんではありません。山に生えている竹です。
竹1がちょうど虎口中央付近前になります。
竹2での奥で切岸にあたり右に折れ城内に入る構造になっています。
 
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竹2奥、切岸にあたり、右に折れ城内に入る。
 
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城内、北東部
 
では、縄張図
 
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 高岡徹 大山町歴史民俗資料館講座「大山地域周辺の中世城館と戦国史」の解説より引用、北を上にブログ説明用に加筆。(加筆部分着色)
   右、大手関門、大手虎口を抜けて広大な削平地に入りました。北面は崖、南は要害、尾根筋は東は関門・虎口を設け大手とし、北西は上杉の畝状空堀群で遮断、その上部に六郭を配し、守りを固めています。
  広大な削平地は、昭和まで耕作地として利用されていたので、遺構としては不明だが、城地として利用された削平地であることは間違いないと思うので、在城衆の屋敷地、駐屯地であったであったと思います。
 横堀線より南を要害部として区分けし、普請、利用したものでしょう。
 山腹に広大な平地、横堀で区画した山上要害という構図は、頚城郡内箕冠城に類似しています。
 
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削平地北東部
 
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その南
 
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北部
 
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北端は崖
佐伯哲也『越中中世城郭図面集Ⅰ』では、下に清水と記載がある。
 
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崖下ズーム
清水であろうか。
 
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北西端六郭(佐伯 E郭)
 北西尾根筋上に配され、北西尾根筋を伝う敵に備えている。六郭下、北西尾根は、上杉の畝状空堀群で遮断されている。また、六郭両端には、上の郭との接続用の土塁を設置している。
 樫ノ木城は、端の土塁伝いルートを用いている。池田城と違い、土塁伝いルート、実城部では桝形虎口で郭と郭の接続が成されている。
 
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まず、北西尾根を遮断する畝状空堀群を見てきましょう。
写真は六郭下北西尾根
 
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上杉の畝状空堀群
 
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往時、どれほど削ぎ立っていたことであろうか。
 
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二本はまとまり、際を抉る。
 
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北西に降る
この畝状空堀の施設は、湯山城野崎屋敷南西部と類似する。
 
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湯山城野崎屋敷南西下
 
樫ノ木城在城衆が、能登七尾城めざして能越境に進み、湯山城に進駐、改修した可能性があるのではないだろうか。上杉の湯山城在城時期は、天正四年九月以降の攻略(上越市史別編1307・1309)から、天正七年の撤退までと比定できる。その間、天正五年七尾城攻略、六年謙信死去という変転がある。
 
六郭に戻ります。
 
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六郭南、城内側は切岸で登れない。
両端の土橋伝いに上の郭と接続していた。
 
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六郭西端土塁
土塁伝いに上の郭と接続している。
 
その2では、山上の要害部を辿ります。
 上杉の近代的普請、切岸線前の横堀と、主要部への登路の低地と高地に枡形を設け、高低差を利用して階層的に構える普請をみることができます。
 
参考文献 高岡徹 大山町歴史民俗資料館講座「大山地域周辺の中世城館と戦国史」の解説
       佐伯哲也『越中中世城郭図面集Ⅰ』
       氷見市教育委員会『氷見の山城』
       上越市史別編