薬師山城その1(加茂市黒水) | えいきの修学旅行(令和編)

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北西からみた薬師山城
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以下、いわの橋たもとにある解説版より
     
     薬師山の南側は加茂川に切り立った絶壁で、東西の山岳とあいまってまさに天険の地となっている。
 この城は薬師山城、別名黒水城あるいは虚空蔵山城とも呼ばれる。「温古の栞」によれば、鎌倉時代の豪族、     佐々木盛綱の一族長谷修理の居城であったという。長谷氏はのち小島氏と改名、守護代長尾為景が越後守護上杉房能を急襲・殺害に及んだ永正4年(1507)の政変に際し、房能に尽くした当主小島兵部綱吉は討手を避け、一族従臣をまとめ出羽国へ退去したと伝えられている。薬師山城は大型の山城とはいえないが、その遺構を検討すると七谷地区では中心的な山城であると考えられている。敵の侵入を防ぐ土塁や二重堀、横掘、門を構えた枡形虎口などを配し、戦国期山城としての特色を備えている。黒水を支配した領主の城と推定され、戦国期の文化遺産として高く評価できる。 平
                                               成18年1月加茂市黒水地区
 
山頂の主郭は、異なる構造の三つの虎口が守りを固めています。
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 A虎口は折れて外枡形を経由し折れて内枡形へ入り主郭へ。

 B虎口は竪堀で作られた細い危険な土橋から内枡形を経て主郭へ。
 C虎口は尾根を二重堀切で断ち切ってあり、木橋でも架けて通ったのでしょうか。
主郭を土塁で仕切った枡形ともとれる郭へ繋がります。
 
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いわの橋の袂に冒頭の説明版があります。
説明版を右に加茂川沿いの農道を500mほどで登り口です。
 
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登り口 右側は加茂川
オフロードバイクはここまで行けます。車は軽トラなら行けるかもしれません。Uターンができないかも。
ここから主郭まで20分ほど。尾根は細く怖いですが、登りはそれほどきつくありません。
丁寧な遊歩道が整備されています。
    
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すぐに急斜面したを進み、沢の手前で折れ斜めに登ります。
登った先は平地になっていて、説は無いようですが私には居館の跡のように思えます。
 館地は他に説があります。
   
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登った先の郭
居館跡だと思うのですが…。
祠があります。
奥に山頂へ道が続きます。
 加茂川を利用したの舟運の倉庫でもあったのでしょうか。 
  
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背後の山頂への登り道
木が城戸のような地点があります。
  
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西の尾根に取り付き、両側崖の尾根を進みます。

  

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山頂の主郭部が見えてきます。 
南西のA虎口へ
二折れで外枡形を経由し、内枡形に入る厳重かつ威厳ある虎口です。
大手がこちらになるのではないかと思いまます。
  
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A虎口前はこんな崖です
一人づつ尾根伝いに攻め込んでも落とされたら助からないでしょう。
また、この崖を攻め登るなど不可能です。 
 
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まず左に折れます。
  
 
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踊場のような外枡形を経由し、右へ折れます。

 
 
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内枡形に入ります。

 
 
 
 

 

 
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南西A虎口を内から

厳重かつ威厳のある門もあったことでしょう。なかなかいい虎口です。
 

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主郭西がわは一段低くなっており、そこを内枡形状に掘って迎え入れています。
  
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薬師山城主郭 
中央に祠があります。
奥に土塁があり、北に別郭をつくっています。
右手前に南東のB虎口があります。その2で辿ります。
  
参考文献 加茂市史 
     木村尚志著山城は語る