こんばんは〜流れ星

最近は両親との時間が増えてるメイでーす目がハート




今日は母のお誕生日ですお祝いケーキ

82歳になりましたブルーハート

ただいま左手首を骨折中です( ̄▽ ̄;)




娘は大学で不在だったので、両親を連れて3人でお祝いランチへ行ってきましたひらめき





『美味しいねー音符お庭もいいねー音符

と喜んでくれたけど、


車で往復2時間🚗自宅に帰ってきたら、両親ともに大変くたびれておりましたタラー






自分は長生きできる可能性がかなり低いと知ったからかな、なおさら母の年齢まで生きられることをスゴイ!!キラキラと感じます。







母はとっても笑い上戸で、ちょっとしたことでもケタケタ笑いゲラゲラ笑いよく笑う人


人のために動いてあげること、誰かのために何かしてあげることをちっとも苦にしなくて、見返りも求めない優しい人ブルーハーツ


面倒なことも、細かいことも、汚れ仕事でも、何をするにもそうなんだけど、やるとなったら綺麗に仕上げるとにかく丁寧な人ニコニコ







そんな母にずっと支えられて、無条件の愛を沢山もらって、


娘を連れて実家に出戻ることになった時は、確かに私はこれから母のために、母の力になれるように、と思ったんです。父へも同じく。






そのはずが、実際は、


私が帰ってきたことで、親から


余計な用事が増えたなんて思われたくない


お金の負担がかかるなんて思われたくない


とか考えてしまって




できるだけ親に甘えない、頼らない、自分でやる




この気持ちが強くて肩肘張ってた私は、常に必死でギラギラ雷ギスギス雷してた気がしますドクロ




そんな私に母は、『家族なのに』と寂しそうな顔で不満をもらしていました。

その言葉になぜか一層ムキになっていた私知らんぷり


迷惑かけたくなくない一心で頑張った結果、母が望む楽しい和気あいあいな同居にはならなかった上に、私は癌にもなりました魂




実家で暮らすようになって今5年目。

癌になるまで、親と一緒に家でご飯を食べる日はほとんどありませんでした。

まあホントに忙しかったのも事実ですがキメてる

癌になってから、ようやく私の頑張り方は親孝行でもなんでもないと気づきました。




癌の診断時に聞いた余命は、最悪のシナリオなら早くて半年でした。


有り難いことに神様から少し時間をもらえたようなので、この時間に母と(父とも)一緒に笑って過ごしたいと生き直しています飛び出すハート




明日も母とお喋りしよーっと。