日本語学校の卒業式を終えて、
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考えたこと。
私にとって、日本語学校勤務というのは、この学校が初めて。
この1年半、愛すべき学生達のために、私なりに、全力で教え、全力で対応してきました。(そのつもり)
色々と初めて尽くしで、思い入れも強いです。
そして、そんな自分が教えてきた学生が卒業するのは、今回が初めて。
昨年度は、卒業する学生を担当していなかったので。
だから今回の卒業式は、感無量、絶対泣くだろうな…と前々から思っていました。
…が、私は泣きませんでした。
泣けない雰囲気だったとかでもありません。
どうやら、こんなことにも、数十年前の習慣が染みついていたようなのです。
数十年前、私が日本語教師デビューした教育機関の学習者は、母国での勤務先(主に日系企業)から、日本の会社へ出張研修のため来日。
出張研修の前に、6週間泊まり込みで集中的に日本語を学習する、という機関です。
そこで学んだ後の学習者は、日本各地の各自の会社へ行くため、みんな散り散り、離れ離れに。
その日本の会社での研修は、最短1ヶ月、最長9ヶ月で、だいたい3~6ヶ月が主流。
研修した後は帰国し、母国での勤務先に戻り、管理職として仕事します。
つまり、私が彼らと一緒に過ごすのは6週間だけ。
日本語学習後は、日本各地に散らばってしまうし、数ヶ月で帰国してしまうため、再会することはまずありません。
6週間ごとに、出会いと永遠の別れを繰り返すわけです。
当時の私は20歳そこそこで、その職場が社会人デビューで、人生経験も浅い小娘。
最初の頃は、どう気持ちを切り替えたら良いのか、とても戸惑いました。
でも、時が経つにつれて身についていったのは、「心を無にする」ことでした。
もちろん、6週間は全力を尽くします。
教えることにも、接することにも。
6週間経てば、学習者は皆、家族のような友達のような恋人のような、そんな大切な存在になっていました。
それでも、最後の日は、自然と心が無になる。
「悲しい」「寂しい」といった感情は、出ない、出さない。
たぶん、それが自分を守るためのすべだったのだと思います。
いちいち感情を出していたら、6週間ごとの感情の激しい波に耐えられませんでしたから。
そうして無意識のうちに、そんな感情コントロールをするようになっていた私。
それから数十年経ち、そんなことはすっかり忘れていました。頭では。
でも、どこかに染みついていたようです![]()
心理学的に言うと、「非宣言的記憶」というやつですね。
自分でもちょっと驚きました。
でも、この非宣言的記憶、本当に「その場面」でのみ発動されるんですよね。
「担当した学習者との別れ」という場面以外では、自然と泣けるんです。
身近な人が亡くなった時とか、身内が卒業した時とか。
むしろ若い頃より涙もろくなっていて、赤の他人のそういう場面を見聞きしても、もらい泣きしちゃうくらいです。
なのに、ですよ。
愛すべき学生達との別れの時は、泣かなかった…
無意識のうちに染みついているもの、「非宣言的記憶」。
その威力は恐るべし![]()
※以前もそんなことを感じたなと思って、過去ブログを捜索したら、やっぱり書いてました![]()
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非宣言的記憶 体は覚えている | やっぱり日本語教師 再デビュー


























