夢や希望や時間や命や自分 | メランコリーの闘病日記

メランコリーの闘病日記

自身の病気を通して学んだことや、日々感じたこと、過去の出来事を踏まえて学んだことなど様々な視点でブログを綴らせていただいてます。

「夢」って、
「もしも」だとか「そうなれればいいのにな」っていうニュアンスを感じるの。

だから自分とは切り離された空想世界だと思うの。

ずっと遠くから眺めてるものなんだと思うの。

だから「目的」が「夢」に変わった瞬間それは現実世界じゃなくなっちゃうの。

「目的」っていうものにはね、「前提」っていうものが加わるの。

これは「夢」じゃなくて「前提」でありながらも、未来への自分に託してる現実世界。

これを「前提」として今を生きる。

それこそが追いかける、叶う、ではなく
絶対に叶わざるを得ない未来を掴み取りに行くってことなのよ。

だから例えば私みたいな大学生だとしたら

単位を取るってわざわざ夢だとかって思ったりしないでしょう?

前提として単位取るために授業受けたり、学校に行ったり、それがはたまた楽しかったり楽しくなかったりするんでしょう?

叶う叶わないとかの世界にいないものは
自分が前提を作って逆算して行動していくものだから
自然にそれが現在に近づいていき、また過去に変わっていく。


あくまでも「前提」として追いかけないといつまでだっても「夢」のまま。

夢を見るにはタダだけど、前提には時間と根性が必要なんです。

それが段々と夢に変わっていっちゃって

例えばジャンボ宝くじが当たればいいのになだとかいう

空想世界に近づいていってることが自分で実感できるの。

「いいのにな」じゃ無理なんだよ。
「絶対に自分はそうなる」って思い込んでやっていくんだよ。

もし、その気持ちが「本気」ならば「生半可な気持ち」じゃないならば
もう道は開けてるはずだし
むしろ後戻りできなくなってると思う。

それさえも「そうなればいいのに」に変わっていく自分の中の変化。


〝過去は変えられないけど未来は変えられる〟なんてよく言われてるけど
確かに正直戻れない過去には可能性も何もない。
それはもう「過去」だから。
一種、空想世界。人間の脳内で言うならば「自分が残した記憶の一部」

でもね、あくまでも「過去」ありきの「今」や「未来」だから

過去によって、変えられていく未来も少なからずあるんだよ。
それによって可能性が狭まってしまった未来だってあるんだよ。

だけど、私は過去に嘆くなんてこと絶対したくないんだよ。

生まれたくて生まれたわけじゃないから。

勝手に生まれてたんだよ。

こんな家って言ったら両親に申し訳ないかもしれないけど、それでも
こんな家に生まれるって解ってた人間だったら私は生まれない道を選ぶ。

だからこそ、一秒でも絶対無駄にしたくないんだよ。

じゃないとこの命本当に何の意味も見出せなかった気がして。

だからこそ、常に何かを考えて毎日必死に生きるために何かを探し求めて這いつくばって何とか生きてる。

生まれたくなかったのに生きることに貪欲だなんて全く不思議なもんだよ。

どうせ死ねないならってことだよ。

だから後悔を絶対に付けたくない。

何もかも意味を見出したい。

だから何でも記録したり
日記に書いたり
思ったことすぐ何かに残したり
綺麗だと思った風景の写真を逃すことなく撮ったり
何もかも捨てられなかったり

それは全部自分がこれまで生きてきた証だと思ってるから。

そうでもしないと生きてる心地がしなくてやっていけない。
そんなことしてても生きた心地がしないんだから。

そうやって生きてきたし、今もこれからもそうやって生きていく。

それを全てやり尽くして命に意味を見出せるものが何にもなくなったときにきっと死ぬんだと思う。



「死にたい」とか何度も思うけど

結局、死ねないもんなんだよ。現時点まではね。

誰にも必要とされてないなんてこれっぽっちも思ってない。
私が死んだら泣く人絶対少なくとも一人はいるとか思ってるよ。
なんなら少しくらい噂にでもなると思ってるよ。

別に噂になんかなったってどうでもいいんだけど。
どうせ死んでるんだし、むしろ嬉しいよ。

死後も私の名を呼ぶ人間が地球上に存在してるんだなって考えるだけで。

誰にも必要とされてないなんて思ってないのは、自分から必要とされにいくことに必死だから。

わざわざ人に必要にされにいくなんて、なんか可笑しいかな。
いや、可笑しくないよね。
きっとみんなもそうだよね。

だから生きてるよね。

まだ希望を捨てられないんだよね。
それが弱さなのか強さなのかもわからなくなる時がある。
基本的に私はどっちにせよ強いと思ってるけど。

私は此処を離れる勇気なんか全くない。

ひとりぼっちはやってられないよ。

私にとって死んだも同然なんだよ。

そう感じさせないものがたくさんあるからきっと今を生きてるんだろうな、って思った。

でも「ひとりぼっち」の定義って人によって全然違うけどね。

最終的には全て自分との闘い、敵は自分、って奴だよな。


死ねたら楽?

死んでみないとそんなのわからない。
なのに、いつか死ぬ、死ねる動物だってこと
自覚しながらも生きてるだなんてとても不思議。

お父さんはどうしてるんだろう。
確実に傍にいるのがわかるんだよなぁ。

人って物理的に二度と会えなくなっても自分の心の中でいくらでも会えるんだよ。


なぁんか、馬鹿馬鹿しいなぁ
自分。

また色んなことで道迷い、でもそれは必死に生きてるからだよね?

ただ、自然死?自殺以外の自分の死に方が未だに想像できない。


それでも今もなんやかんや生きてるけどね。