振り返れば、20代にして多くのことを経験させてもらった。
研修中のゴルフ場では、お忍び宿泊ゴルフに来た女優さんと売れっ子タレントに遭遇して接客したり、
テレビドラマの撮影の舞台となって、テレビの裏側を見れたり、おまけにエキストラで出演してみたり、
アメリカとソ連の陸上競技合同合宿が開催され、トップアスリートと接したり、、
中でも、米ソの合同合宿は貴重な経験だったなぁ。
インストラクターは選手の練習と接する時間がたくさんあるのに、フロント役の俺はほんの少しだけとういう状況にストレスを感じていた。
合宿の何日か目に、アメリカ側の総監督が本国と連絡を取りたいとのこと。
今のようにインターネットなんてなかった時代だから、コミュニケーションは国際電話。
今でいうメールのTELEXという手段があったようだが、リアルタイムではないので、やはり電話だった。
会社に残り、当時、国際電話はKDDIだけで、オペレータと総監督をつなぐ役がなぜか俺になった。
日米の時差のため、電話する時間が日本時間23時~だっと思うが、その前30分前に準備のため、深夜のオフィスにふたりで待機。
KDDI国際電話なんて掛けたことないし、緊張の面持ちで待機。
その待ち時間に、俺の下手な英語で彼と会話。
彼はカールルイスについて、アメリカのスポーツ界について話してくれた。
ビジネスとしてのスポーツ界の待遇や社会的地位が、あまりにも日本と違いすぎ、軽いショックを覚えた。
その頃から、「このままこの会社で仕事をしていてはだめだ」と思い、次に進むべき道を模索。
理学療法士、実家の美容院を継ぐなど考えたが、行動に移せず。
そんな時、
いつまでたっても希望していたインストラクターにしてもらえないことへの不満がきっかけで、小爆発して見せたところ、会社は人事転換させてくれたが、気持ちはすでに離れ、会社への気持ちもなくなり、退職することに。
次の仕事も決まっていないまま、とりあえず実家へ引き上げ。
この時26歳。
(続く)