こんばんは、ココアこと田中貴子です。

 

前回の「妹が嫌いだった頃を振り返る(セルフヒストリー1)、いかがだったでしょうか?

今回はセルフヒストリー2です。

 

年も近く、ライバルのような存在の妹。

顔も似ていて、背丈も同じ。

感情表現が豊かで、愛想がよく、人に好かれた妹。

一方、相手の顔色や表情を読み取ろうとしがちで、臆病で内気だった私。

妹と一緒にいると、声をかけてもらえない。

いるかいないか分からないままでは、存在自体がなくなってしまう。

自分の色を出さないと!得意なモノを見つけたい!

そんな焦りがあった幼い日々。

そのあと、どうなったかの続きとなります。
 

小学校に上がって、文字が読めるようになると、物語や漫画にどんどんのめりこんでいった。

お話の世界で、自分と同じように意地悪をされたり、分かってもらえない境遇だと、そうそうと一緒にうなずいたり、泣きそうになったり。

ぐりぐりと頭の中で想像した世界を、思うに任せて、自由に漫画で描く。

やがて描くでは飽き足らず、同時に台詞やト書きまでも全て、自作自演。

妄想を膨らませるこの時間は、長らく私を支え、癒してくれた。


妹をライバル視しなくなったのは、本好きなおかげで、勉強は得意かもと自覚したあたりから。

あるいは歌が上手だと先生に褒められたあたりから、だったろうか。

それでも相変わらず一緒に出かけると、1時間くらいで口喧嘩になってしまう。

なんでこうなっちゃうのか?ともんもん。

いつの間にか、別の場所で、それぞれを生きるのが一番いいになっていった。


妹は独身のまま、新卒で入った会社で今もずっと働き続け、両親と一緒に住む人生。

私は新卒で4年働いたのち、結婚で退職。

子育てしながら、10年間の専業主婦を経て、幾つかの仕事をして、やがてカウンセラーとして転身。

姉妹で仲良く買い物に出かけたり、旅行に行く友だちの話を聞くと、ちくちくと罪悪感を感じた。

仕方ない、接点が少ないんだものと諦めた年月もあった。


数年前これではいけないと、気まぐれに一緒にご飯を食べようかと出かけた。

かたや肉が大好き、いっぱいあるのが好き、お得が大好き。

私は豆腐とか野菜好き、量はいらない。

1つ1つが丁寧な感じが嬉しい。

「野菜や豆腐じゃ、お腹いっぱいにならないわー」には、笑うしかなかった。

同じ家で生まれ育っても、ここまで違うんだ。

服の好みも、料理の好みも、価値観がことごとく違う。

これだけ違うのだから、妹でなかったら、友だちにもならなかっただろうな。

無理しないのがいい。


そうやってやり過ごしてきたけれど、この夏、母が畳で転んだ。

背骨に圧迫骨折の診断をもらったことで、「いざ」の助け合う時が来た。

妹はずっと実家で暮らしてきたので、両親の経緯も全て見守ってきた人。

私が結婚した後は、父の定年後とも重なる日々。

妹は父の傲慢さや口の悪さに、辟易している母の愚痴の一心に受け止めてきたので、リハビリ病院に入院するのが最善と判断。

やがてどこがいいか、手続きには何が必要かを調べて、介護認定をもらうなど奔走。

1週間の施設ショートステイを経て、リハビリ病人に入院できるお膳立てをしてくれた。

フルタイムで働きながらでは、両立が難しい場面が出てくるので、私は平日できる手伝いをメインに。

パジャマなど必要な物資の購入や病院の見舞いなど、穴埋めフォローの役割で、次第に積極的に関わっていった。


そして本当の一番のお役目は、母のために動くより、妹のストレス軽減。

妹、更には両親それぞれの思いを丁寧に聴くことだった。

妹は母の話を聞き続けたことで、もはや父を敵対視。

父がああでなければ・・・と、ややもすると馬鹿にして、嫌悪感を隠さない。

とにかく母が可哀そうだ、なんとかしてあげたい。

この一点において、すさまじい行動力と責任感をもって、我が身を二の次にしていたので、気持ちもオーバーヒートしていた。

ちょっとしたことで、ぎゃーぎゃーといきり立つ。

これも、あれもしなきゃと、全部しょいこもうとする。

それでいて、少しはやってよね。

それぐらい当たり前でしょ?といった言い方で非難してくる。

以前の私だったら、頼むのだったら、もう少し言い方がありそうなものでしょ?

自分の価値観で人を決めつけないで!とか口に出して、揉めたかもしれない。

でも・・・・・今は緊急事態。

揉める時間なんて、もったいない。

妹なりに一生懸命、必死で母のために、あちこち良かれと動いてきたのだ。

睡眠時間も、遊びの時間も少なく、心に余裕がなくなっているのだ。

パーフェストを求めているから、よけいに追い込んでいるだけなのだ。

ひとしきり、言いたいことがあれば、吐き出せば楽になる。

ならば、その受け皿になろう。

そう決めたら、妹も次第に落ち着いて、「お姉ちゃんだって、お姑さんも入院したりで、大変だよね」とこちらをねぎらってくれた。


必死すぎると、周りが見えなくなってしまうけれど・・・それは私も同じ。

「大丈夫だよ、1人じゃないからね。応援するからね。できることはやるからね。」

繰り返す言葉は妹に向けているようで、自分にも言い聞かせる力強い決意にもなった。
 


一緒に暮らして、家族の様子をつぶさに見ている妹は逃げられない。

私は家を離れている分、一歩引いてモノを見ることができる。

価値観は相当違うけれど、家族の一大事と思う気持ちは同じ。



力を合わせることがまずはの大前提。

ならば、私はどう動こう?

何をしたら、一番妹が助かるか?

それを妹の側になって想像したとき。

気持ちギリギリで心身疲れているのをほぐそうと思ったのです。

こちらが相手の状況を推し量り、気持ちを受け取ろうとすると、温かみが生まれます。

相手もそれに応えてくれる。

一緒に動いてくれてるんだ、1人ではないんだ。

そう感じてもらえたとき、妹ってすごいなと思えたのです。

その先に、私の心にも大きな変化が訪れました。

続きの完結編もまたお楽しみに。
 

読んで下さって、ありがとう。

 

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