こんばんは、ココアこと田中貴子です。
新年度スタートに合わせて、<私のあゆみ>と題して、今にいたるまでのストーリーを
書いていきたいと思います。
これまでも、折に触れて、ぽろりぽろりと語っていますが、まとめて読めるように編集し直して、お届けしますね。
なるべく時系列で進めていくつもりですが、行きつ戻りつも、時にはご愛敬。
転機となったこと、忘れえぬ出来事、励んだ日々など、思い出しながら、綴っていこうと思います。
秘密にしておきたい恥ずかしい私も多々登場しますが、等身大の私がいっぱいです。
どうぞ楽しみに読んで下さいね。
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さて、今回はなりたい仕事を決定づけたとも言える大学時代の頃の私を紹介。
私の最初の職業は、中学校の教師でした。
なりたいと真剣に思いが高まったのは大学2年生の頃。
人生の大きな分岐点は、大学1年の秋。
所属していた英会話サークルでの英語劇「青い鳥」で主役のミチル役をやり遂げたことでした。
それまでは、主役どころか、台詞のある役も体験なし、小道具を作ったり、背景の絵を描くのがお似合いだと思い込んでいました。
だから、それはそれは。。。なんで?なんで?と天地がひっくり返りそうな事件でした。
あの頃の私に、先輩たちはよくぞ、めげずに説得したなと思います。
後から、子どもっぽいキャラは私しかいなかったから(笑)と本音な事情を言われ、ズッコケましたが・・・。
とにかくどんなに言われたって、
「無理、無理、無理・・・絶対無理!」
「私がやったら、ぶち壊しになる!」
「英語の発音だって、下手だし!」
「劇は台詞ない召使いの役しかやったことがないもの。
劇はやったことがないと同じ。
主役なんて、ましてあり得ない!」
「私がやったら、皆きっと大変だし、後悔する!」
「自宅が遠いから、遅くまで練習できない!
だから親に反対される」などなど。
ホント、ありとあらゆるダメな理由探しの達人でした。
粘りに粘る先輩も根負けしそうな、頑固な拒絶ぶり。
”出来っこない”が恐怖のサイレンのように鳴り続けていたのです。
けれど先輩が、とどめにこう切り出しました。
「そのまま、やらずに出来ないと言い続けて、本当にいいの?」
「やってみなきゃ、わからないでしょ?」
「俺たちがちゃんと付き合うから。見てるから。」
そう諭されて、何かスイッチが入れ替わったんだと思います。
結果は小さいステージだったけれど、2回無事演じ通せて、追加公演のコールがかかりました。
英語の台詞では、何度も何度も泣きそうになりましたが、計り知れない達成感もありました。
調子づいて、翌年も「注文の多い料理店」の化け猫役を演じたのですから、おかしなものです。
主役を2年やってみてある日、そうか!と降ってきたような不思議な感覚をもちました。
自分のように、自信のなさから「私なんて・・」と勝手に限界を作ってしまう人は、案外多いんじゃないかな。
その人が気づいていない素晴らしい可能性の原石が今はまだ、ただ眠っているだけ!
そのまま埋もれたままでは、もったいない!!
それを掘り起こして、ここにあるよ。
やってみようよ!と勇気の背中を押せたとしたら、人はもっともっと輝くことができるんじゃないだろうか。
その気づきのきっかけになったり、支えて成長を見守るようなことをしたい!
ポジションは華やかな舞台の真ん中でなく、袖や後ろから支える立場のほうが合ってそう。
自信がない私だって、ここまで出来たんだよ、大丈夫と伝えられる。
その人の素晴らしさ・可能性にスポットライトを当てる人になりたいと思ったのです。
それが私のすべての原点。
仕事を考えていくうえで外せないこと。
”育て屋さん”の気質はどこにおいても、発揮していて、今に至っています。
その後、紆余曲折を経て、就職支援の仕事をすることになったも、そんな自分があるから。
身体ケアをして、人を元気にしたいのも、そんな自分がいるからなんだと思います。
皆さんは今、携わっている仕事は何ですか?
そして今の自分を気に入っていますか?
幼い頃はどんな夢をみていたのでしょう?
何かしら今と繋がっていますか?
↓の写真は飯田橋西口出てすぐの橋からの桜風景。
川面に写るピンクの桜がきれいです。
桜をみると、学校の思い出もよみがえりますね。
読んで下さって、ありがとう。
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