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megumiの毎日

日々の生活の中で感じたこと。
家族のこと、ペットのこと。
毎日悩んだり迷ったりすることも
嬉しいこと楽しいこともたくさんある中で
思ったことを自由につづっていきたいと思います♪

前回の続き。

今までの対決①



娘を出産後、私は娘を抱っこしたりあやしたりすることに対して、ものすごく違和感があった。



「なんで私はこうされなかったの?」



もちろん生まれたてのときの記憶なんてないので、実際には母だって私を抱っこしたりあやしたりしたことはあったと思う。

でも、正直な気持ちとして子どもに嫉妬した。

子どもの顔を見ていたら、本当に幸せだと思うときももちろんあるけど、

嫉妬で泣きそうなときもあった。


子どもに八つ当たりしそうになったり、そもそも『存在が失敗』と刷り込まれていた私は、

子どもがミルクを飲まない、離乳食を食べない、夜泣きする、風邪をひく、



み―――――――んな、



私が悪いんだわ・・・



って本気で自分を責めていた。



誰にも責められないように、自分の中の嫉妬と戦いながら毎日必死で手作りの離乳食を作り、必死で食べさせ、

家の中も掃除し、外に遊びに連れ出し、時間通りに昼寝させ、夜も早寝早起き・・・

少しでもできないと「私がダメなんだ」と自分を責め、周りの誰もが自分を責めているような気がした。

で、不眠、うつ状態で心療内科で薬を貰うことになる。



この頃も、母が自分の都合でやってくるのは変わらず。

うつ状態で食欲がガタ落ちした私に向かって



「ご飯を食べんと」

「もう無理って思ってからあと1口頑張んなさい」

「ご飯食べんと●●(娘)の面倒見れんよ」



と来るたびにしつこく言うようになったため、お米を全く食べられなくなった。

ご飯=米で頭にインプットされてしまったものと思われる。

それから4-5年、私はお米を一切食べない生活を送った。



娘が2-3歳くらいの頃、定期的に心療内科に通っていたが、

そこはあくまでも今の症状に対して薬を処方しますね~というところだったので、

新しくできて、女性の先生がいる病院に転院。

その先生はとってもドライな先生で



「日本全体がマザコンだけど、

でも子どもを産んだからと言って母親になれるわけじゃないし、

みんながみんな母親にむいてるわけじゃないでしょ。

私だって息子2人もいるけど仕事してる方が楽しいもん」



と言い放ち、私の心をわしづかみにした。

かっこいいキラキラ

その先生に母のことを話すと、母を連れてくるようにという話になった。

別な日に母と一緒に病院に行くと、先生はまず私と話をして、その後で母と話をした。

最後にまた私が呼ばれ、母に話したことを大まかに先生が伝えてくれた。



「お母様もあなたに愛情がないわけではないと思うんだけど。

ただちょっとね、無責任というか。

私からはもう少しあなたの状態をきちんと理解したうえで、あなたの気持ちを考えて接してほしいという話をしたから。

うつ病の本も一度きちんと読むように伝えてるから」



母と別れて病院を後にしたのもつかの間、家に帰ってしばらくしたら母がやってきた。




「あの先生がうつ病の本を読めって言うけん、アンタの貸して。

どうせもっとるやろ?

どれが一番簡単で読みやすい?」



これにひどく傷ついた私は症状悪化・・・




何度でも言うが



だって毒親だも――――――――ん!




翌週病院に行った私は、先生にこのことを話し、先生が私に平謝りする事態に。

再度母を病院に呼ぶようにと言われ、また別の日に母と一緒に病院へ。

私のかわりに先生が、母に注意してくれるということになったが、そこではじめての問題発言。



「私も私の母、この子の祖母ですよね。

母に同じことをされてきたんです」



その後、この言葉は母がに私にしたことを他人に向かって説明するために使われることになる。

この日、母はとにかく私もそうだったを繰り返し、

妊娠中私が切迫早産で安静にしていないといけないときに、咳が止まらなくても「咳くらいで子どもは出てこん」と鼻で笑っていたことを指摘すると


「お母さんも妊娠したときとアンタ達が小さかったとき咳がとまらんやったことがあったよ。

私も辛かったんです、色々とあってこの子の父親は何もしてくれなかったし…」



はつみみー

私もそうだったから~⇒先生丸め込み大作戦に乗り出す母。

思い出してもおぞましいザ★毒親ショー爆弾



しかし、先生に泣き落としは通用せず、



「お母様もそのお母様から同じようなことをされてきたからといって、お嬢さんに同じことをしていいということにはなりませんよ。

お母様がしたことの責任はお母様自身にありますから」



と言い放たれ、

この言葉はまさに私がいいたかったことだったので、先生が味方してくれたことは本当にうれしかった。

母はこの日結局、涙ながらに私に謝った。

これが、自分がしたことをはじめて母が私に謝ったときだった。



私はまだまだ甘かった。

何しろ相手は他人の目があるところでは『いい親』を演じてきた母である。

病院の先生=他人がいるところなら、私に謝ることだっていい親プレイの一環でやってのける人だ。

あのときの私にいいたいこと。



人が味方してくれたからって油断するな

甘すぎるぞ――――!

母とあった後、背中に痛みが出た。


とにかく背中が痛くて、仰向けになると痛いから、横を向いて転がるしかなく…
寝たいのに頭の中がぐるぐるしていて眠れず…
と言っても夜9時くらいだったから、寝る時間じゃなかったけどね


とにかく疲れ切っていてはやく休みたかったのは事実。



母と向き合うってこんなに体力使うものだったのか…
久々にやったら本当にハンパない。
すっごくハードな長時間労働した後のクタクタ感。
実際にはコタツでお茶飲みながら母と2時間喋っただけなんだけど。



親と向き合う、対決するということは、毒親育ちにとってはものすごく体力も気力も必要な作業だと思う。
だから、これから親と向き合う、対決することを考えている方にはどうか無理はしないでほしい。
その前後、しっかり休める時間を確保する、もしくはマッサージとかカウンセリングを受けるとか、自分を回復させる手段をあらかじめ準備しておいてほしいなと思う

先週の日曜日、来週来ようかと思っているというメールを受け取って以来、

何の連絡もないまま迎えた当日。

果たして来るのかどうかすらわからんっていう・・・



実は月曜日に「毒になる親」を読んでおいてというメールを母に送っておいた。



その返信もなかったし、もし読んでいれば「また私が責められる」という被害者意識を発動させ、来ないことだって十分に考えられた。

むしろ、来ないんじゃないかくらいの勢いで思っていたら



「あと30分くらいで着きます」


と連絡が。

もっと早く言えよ・・・、家出たの2時間くらい前だろうに・・・

まだパジャマでだらーんとしていた私はむんくむんくむんくとなり、身支度だけはかろうじて間に合ったあせる




今回、母と会って思ったのは、毒気が抜けたなぁということ。




開口一発



「本、読んだよ。

読みながら自分がしてきたことを考えたら本当に申し訳なかったと思った。

本当に申し訳ありませんでした」



他人がいない、母と私2人のときに、生まれて初めて母から謝罪の言葉を聞いた。

これは私が変わったからなのか、今まで散々対決して「逃がすもんか、責任取れよ」と言い募ってきた結果なのかわからないけど。



私が聞きたかった質問もぶつけてみた。



「え、私そんなこと言ってないよ」



これに関してはやっぱりばっくれるのね・・・汗



「もしかしたら無意識のうちに出た言葉の言葉尻をアンタがとらえてそういうことになってるのかもしれん。

本当に無意識やけん悪気はないんよ」




いやいやいやいや・・・

無意識だろうが意識だろうが責任持とうぜ、いい大人だろうがムカ

こういうところにはまだ毒が残ってる気配。




で、お姉ちゃんのときは毎日病院行って、ご飯も作りに行ってあげてかいがいしく世話ができるのに、私のときは孫にバリバリ文句言いまくるのなんで?っていうのも聞いてみた。



「なんでって言われても・・・」



「おかしくない?姉妹なのにこれほど同じ親の対応違ったら、私は何でか知りたくなるけど」



「うん、改めて聞いたらおかしいとは思うけど・・・なんでって言われて説明できんもん」



母の中できっとなにか見ないようにフィルターかかってるんだろうな汗




「でも1つあるのはアンタがお母さんに対しての理想が高すぎて、何かしてやってもアンタが思ってることと違うんじゃないかと思ったら、またなんか言われるんじゃないかって怖いんよ。

そしてアンタはお母さんにしてほしいことを正直に言わんやん。

ケンチャンが入院したときだって、本当は来てほしいと思っとるくせに、●●(娘)に電話してくれたらいいけんとか違うことを遠回りして言うやん」



「いやいや、この間は本当に来てもらっても病院も遠いしどうにもならんけん、今の状況で●●(娘)に電話してくれたら助かるなと思ったけん素直にお願いしたんやけど。

そしたらまたヘンな形で爆破装置押して爆発させてくるやん・・・

何回も来てほしいわけじゃないって言っても、結局話そこに戻すし・・・」




これには母は納得せず、本当は来てほしかったくせにっていうところに固執していて話が平行線に。

来てほしかったかって聞かれたら、正直もうわからないし、別に来てほしいとか来てくれないとかそんなことに構うゆとりはそのとき全くなかった。

でももしかしたら、私の中に母に頼るそういう気持ちがまだ残っていたのかもしれない。

これは自分の中を点検してみようと思う。





私が苦手としている親戚のオバサンたちの話や、母が今一緒に暮らしている人の話や、そんなこともしてみて、母の中にまだフィルターがたくさんあるなというのはとても強く感じた。

脈々と受け継がれる毒親の連鎖があることは間違いないと思った。

今の母の生活はあんまりにも窮屈そうだったので



「つらくない?」



と聞いてみた。



「辛いって言われたらそうかもしれんけど、生活の面では食うに困るわけでもないし、住むところあるし、孫になんかしてやったりもできる。

でも例えばアンタのことで今回みたいなことがあっても誰にも相談はできんよね。

向こう(母が一緒に住んでる人)も向こうの家族のこととかには一切立ち入らせんし、うちのことも一切聞こうとせんし、このまま入院とか向こうがなったら、どうなるとかなとか葬式は私、一般の参列者側なんやろうなとかは思う。

私は一緒に住んではおるし、生活のお金も多めに出してもらいよるけどお手伝いさんくらいしか思ってないのは度々感じる

そうかといってこんなこと話せるような人はおらんし、お姉ちゃん(私の姉)は自分たちのことは自分たちで解決すればって遠くから見とるだけやしね」





この言葉の中に母の毒され具合が凝縮されているような気がするハァ~

もう20年以上一緒に暮らしてきて一般参列者って・・・

私がどうにかしたいとジタバタしている間も、この人はず―――――っと被害者を演じて毒され続けているわけだ。

どうするかは母の問題だから、私は勝手に先に進む♪





母と意見が一致したのは、これから先、また同じようなことがあるのは嫌だっていうところ。

だからどうするかっていうところがまだ私にはわからない。

タイミングが来たらきっとそれもわかるようになるのだと思う。

ジタバタしよう*クローバー*