こんにちは。
モンテッソーリ教師のめぐみです。
ご訪問いただきありがとうございます。
当たり前すぎて
普段は考えないかもしれませんが…
今生きているということが
どれだけ素晴らしいことか。。。
生きていることに感謝すること
生きている事は奇跡だと認識すること
これは不登校対応において
おそらく最も大切なこと
なのではないかと思います。
親が
自分に対して
生きているだけで素晴らしい
子どもに対しても
生きているだけで素晴らしい
と感じていられたら
不登校対応が楽になると思いますし
子どもの自己肯定感も
育まれやすいのではないかと思います。
そりゃそうですよね。
子どもが生きていると言う事は
不登校であるかどうかよりも
大切なことですものね。
生きていないと
不登校になれない。
生きているからこそ
経験できること。
そして
生きているだけで素晴らしいと
認められた子どもは
不登校の自分を、少しずつでも
認められるようになると思うのです。
不登校であっても自分は素晴らしい
勉強していなくても自分は素晴らしい
自分が素晴らしいことに
不登校も勉強も関係ないですからね。
ただただ生きているだけで
その人の人生を生きているだけで
素晴らしいんです。
あなたも、私も
子どもたちもみんな。
また
子どもの不足部分に
目が行きがちになるときに
ふと
生きているだけで素晴らしいんだ
と思えると、
不足マインドが消えて
心が満たされるように変化します。
たとえば…
子どもが落ち込んで
状態が悪化しているように見えたり
外にもあまり出ずに
何も変わっていないように見えたら
「このままでいいのかなぁ」
「どんどん悪くなっているんじゃないか」
と不安や心配に支配されるときもありますね。
ですがこういう時に
「生きているだけで素晴らしいよなぁ」
「生きているだけで充分だよなぁ」
と感じることができれば
不足部分に注目せずに済みます。
親自身が幸せな状態でいられるように
好きなことやワクワクすることを
楽しんでいればいいのです。
子どもだってきっと
親に不安になられたり
心配されたくないと思います。
子どもだって不安なのです。
このまま社会に出られないのじゃないか
将来働けずに
食べていくことができないのじゃないか
そういう不安は
少なからず持っていると思うのです。
だから
親も一緒になって不安になっていても
いいことは何もないんです。
親は子どもより1段上に立って
状況を俯瞰して見る必要があります。
本当に将来働けないのだろうか?
テレワークが増えている現状から見ても
もしかしたら、通勤しなくても
働けるようになるかもしれない。
企業に勤めなくても
個人でビジネスを始めるのも
どんどんしやすくなっているかもしれない。
学校に関しても
ネットで受けるコースも
増えていくかもしれない。
本人がやる気さえあれば
いくらでも道は開けていく気がします。
道はいくらでもあることがわかれば
今考えた方がいいことは
どうやったら
「本人のやる気が出るのか」
ということ。
やる気が出るときってどんなとき?
「やりたいことがあって
もしかしたら自分にも出来るかもしれない」
って思うときや
「やらないとまずいと思うことがあって
きっと自分にはできるだろう」
って思うとき
こんなときに『やる気』に
なるんじゃないかなと思います。
これにはポイントが2つあります。
✧︎ やりたいと思うこと
ポジティブでもネガティブでも
✧︎自分に出来そうだと思えること
やりたいと思っても
自分には出来そうもないと思っていたら
やらないでしょう。
パワーがなければ
そもそもやりたいとも思わないでしょう。
不登校期間中に
やりたい気持ち
自分に出来そうだと思う気持ち
を育てるような
関わりをすればいいんです。
徹底的に自己肯定感が
上がるような関わりをするといいでしょう。
やりたい気持ちが先か
自己肯定感が上がるのが先か
両者は一緒に育てていくことができます。
その最も基礎となる土台の部分が
子どもに対する
生きているだけで素晴らしい
と思う気持ちです。
…とはいっても、
表面上は
生きているだけで十分だと思っていても
「こういう子どもは認められない」
と感じることもあるかもしれません。
たとえば
暴言を吐く子ども
部屋に閉じこもって出てこない子ども
一日中ゲームをしている子ども…
子どものこういう姿に
初めて出会ったとき、
こんな子どもも素晴らしいって
心から思えますか???
私は思えませんでした。
なんとかしなければ!!
子どもを変えなければ!!
そう思っていました。
中々に
難易度が高い![]()
こんなどうしたらいいのか
わからん状態の子どもを見たときでも
「生きているんだから素晴らしいよな〜」
って思うために
色んな方面から考えたり、
自分に対して質問を投げかけます。
「素晴らしい」って思えるまで…
子どもは今どんな気持ちなのかな?
それをすることで
何を成し遂げようとしているのかな?
今自分にできることがあるとすれば何?
暴言を吐くということは
心の中にどうしようもない思いが
溜まりに溜まっているということ…
辛いよね、苦しいよね、悲しいね。
必死に生きていることが分かれば
生きていてくれていることに
感謝できるかもしれない。
部屋に閉じこもるってことは
自分の安全を守ろうとしているということ。
もしかしたら、
私自身から身を守ろうとしているのかも。
そう気がついたら
子どもの心の安全を守るために
子どもを責めたり
心配したりするのではなく
そのままで十分だって認めること。
そう思えば、やるしかないですよね。
一日中ゲームをして
何を得ようとしているのか…
心が辛い状態で
束の間、夢中になることに没頭して
現実逃避しているのかもしれない。
でも…
こんなにパワーがない状態でも
ゲームのことなら
調べたり、試したり、チャレンジ出来る。
これも学びの1つだよね。
こういうところから
パワーは溜まっていくのかも。
だったら、
むしろ協力する方向で考えてみよう。。。
パワー不足でも
チャレンジしている子どもが愛おしい。
生きているだけで十分。
こんな風に思えるまで
色んな方向から考えてみるといいですね。
ゲームでも他の遊びでも
そんな小さなやりたいものを
好きなだけやったらいいと思う。
小さい「やりたい」を達成しながら
「自分にも出来る」気持ちを
育てていったらいいと思う。
親からの「生きているだけで十分」
だという絶対的な愛情を感じながら
子どもが自分で育てていく「出来る」感。
コツコツとした積み重ねかもしれませんね。
でもそれは確実なものです。
ついつい当たり前すぎて
感謝することも忘れてしまう
生きているということ。
生きていさえすれば
どうとでもなります。
苦しさも悲しみも
ひっくるめて
どれも人間らしくて
素晴らしい。
生きている自分にバンザイ。
生きている自分に拍手(✿︎´ ꒳ ` )♡︎
生きているだけで最高に素晴らしい。
ここまでお付き合いいただき
ありがとうございました。
