自由になろう╰(✿´⌣`✿)╯ | 不登校はプレゼント ~不登校や病気などの試練は、本来の自分らしい輝きを取り戻し生きるための素晴らしい贈り物~

不登校はプレゼント ~不登校や病気などの試練は、本来の自分らしい輝きを取り戻し生きるための素晴らしい贈り物~

子どもの中には、人生の道しるべとなる内なる教師がいます。
本来持っている生命力を取り戻し、子どもが内なる教師の声を聞き、力を発揮できるようサポートしていきましょう。
不登校や病気などの試練は、とても素晴らしい贈り物になり得ます。

こんにちは。

 

モンテッソーリ教師のめぐみです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

 

突然ですが自由ってなんでしょう?

 

 

 

制限がないことかな?

 

自分で選べることかな?

 

自分で決められることかな?

 

 

 

 

不登校の子どもと「自由」って

 

とても密接に関わっていると思います。

 

 

 

不登校の子どもは、確かに自由です。

 

 

 

決められた時間に学校に行って

 

決められた授業を受けることがないのですから。

 

 

1日を自分の好きなように使えます。

 

確かに自由です。

 

 

 

 

我が家は、

 

息子が自分の生活のことを

 

自分で考えて、自分で決めて、

 

そこから体験を通して学んでほしいと思っています。

 

 

 

ですから、息子の生活は基本

 

自由です。

 

 

 

家族が気持ちよく生活できるように

 

お願いしていることはいくつかありますが、

 

基本は自由です。

 

 

 

 

昼夜逆転しようが

 

食事が1日2食であろうが

 

勉強しなくても

 

学校にいかなくても。。。

 

 

 

自分で考えて進んでいけばいいのだと思っています。

 

 

ですが、放任ではないのです。

 

 

 

息子が困っていたり、話したいことがあれば

 

一生懸命聴こうとしています。

 

 

息子が気持ちや考えを

 

沢山話せるといいな~って思っています。

 

 

 

 

何かをお願いされたり、相談されれば

 

一緒に解決しようとしたり

 

手伝えることがあれば、金銭面含めて

 

出来る範囲ではありますが、

 

力になろうと思っています。

 

 

 

 

 

ところで…

 

 

自由とはなんでしょう?

 

 

 

先日モンテッソーリの著書を読んでいると

 

次のような文章が目に入ってきました。

 

 

 

精神発達過程の中で特別重要なのが自由選択です。

自分の必要性と精神面を発達させる必要性をよく承知している子供だけが本当の意味で自由に選択すると言えます。

あらゆる外的刺激が同時に子供をひきつけて、意志力が無いために、休みなくあれこれと手を出しては又、次の物に移っていくのでは自由選択とは言えません。

 

                モンテッソーリ著『創造する子供』

 

 

 

幼児期の子どもにとって、

 

ただ楽しそうだから、刺激的だからと

 

反応することは、自由選択ではないと言っています。

 

 

 

自分が本当に求めているものを選べることが自由。

 

 

 

自分が本当に求めているものとは、

 

自分にとって必要なもので、

 

自分自身を成長させてくれるものです。

 

 

 

ただただ、楽しそうだからって

 

その刺激に流されてやることとは違うのだそうです。

 

 

 

そして、自分が本当に求めているものを選び

 

身体を使って体験していくと

 

子どもの精神面がのびのびと発達していきます。

 

 

 

逸脱していた色々な状態、

 

例えば、暴力性、無気力、依存心、現実逃避…

 

 

こういった状態は消えてしまい、

 

本来のまっすぐで純粋で

 

優しくて、勤勉な子どもの姿が現れてくるそうです。

 

 

 

 

モンテッソーリはここでは幼児のことを書いていますが、

 

これ、小学生でも中学生でも…大人でも…

 

当てはまりませんか?

 

 

 

 

本当に自分が好きでやりたいことを見つけたら

 

そしてそれに熱中できたら

 

そしてそして、実績を積んだり、世界が広がったりして

 

自信がついたら。。。

 

 

 

 

劣等感だとか、依存心、自信のなさ…

 

そういった自分を否定していたことが

 

うそのように消えて、生き生きし始めませんか?

 

 

 

 

不登校の子どもが本当の意味で

 

自由になれるといいな~と思います。

 

 

 

自己否定する気持ちから解放されて

 

生き生きと自分の道を歩んでほしい。

 

 

 

恐怖心や、不安から解放されて

 

のびのびと幸せに生きてほしい。

 

 

 

そのためには、

 

モンテッソーリが言うような

 

自由選択できることが必要になると思うのです。

 

 

 

 

幼児期だったら、子どもの様子を観察しながら

 

子どもが何を求めているのかを見つけて

 

環境を用意し、根気よく紹介していけばいいこと。

 

 

 

 

ですが、

 

不登校初期に信頼関係が崩れてしまっていたり、

 

パワーが放電状態の子どもに

 

そして思春期に差し掛かる子どもに

 

親の提案は響きません。

 

 

 

 

 

むしろ、

 

「また、私を動かそうとしてる!」

 

「親の言うことなんて信頼できない!」

 

「うるさーーーい!!」

 

と、さらなる関係悪化の道へまっしぐら。。。

 

 

 

 

 

ですので、親子の関係を改善しつつ、

 

子どもが自分で本当にやりたいことを

 

見つけられるように

 

関わることが、早道だと思います。

 

 

 

 

親が子どもに新しい体験を提案しなくても、

 

子どもが親に思いや考えを話せるようになることで、

 

自分で見つけることもできると思います。

 

 

 

 

子どもが自分でも見つけられるように

 

色々と制限しない方がいいですよね。

 

 

とくにネットや電子機器ですよね。

 

 

 

不登校の子どもにとって

 

YouTubeがどれだけ情報源になっているか。。。

 

 


 

それと同時に

 

子どもの話を聴ける親

 

になっておくといいですね。

 

 

 

 

子どもが自分の考えや気持ち、思いなどを

 

話したいと思える親です。

 

 

 

それはどんな親でしょうか?

 

 

 

反対の立場になってみればわかります。

 

 

 

 

自分の話を否定しないで聴いてくれる。

 

自分のことをジャッジしないで聴いてくれる。

 

柔軟に、冷静に聴いてくれる。(感情的に怒らない!)

 

自分の話に一喜一憂しない。

 

変な期待をしない。

 

反対にがっかりもしない。

 

優しそうな雰囲気。

 

受け入れてくれる。

 

 

・・・

 

 

たとえ関係が一度悪くなったとしても

 

親が自分自身を変えて

 

こんな親になっていったら

 

話を聴いてほしいって思うだろうな~。

 

 

 

 

そのためには、

 

親自身も自由でいることって大切ではないでしょうか?

 

 

 

なぜならば、親が自由であれば、

 

子どものことを

 

別の人格をもった人間であり

 

子ども自身が自由であることを

 

受け入れることができると思うから。。。

 

 

 

 

 

親自身が自己否定する気持ちから解放されて

 

恐怖心や、不安や、依存や、世間体などから離れて

 

本当の自分を大切にしていく。

 

 

 

そして、自分が本当に求めていることを見つけて

 

挑戦しながら、成長を止めないで生きていく。

 

 

 

 

自由な親と、自由な子ども。

 

 

 

 

お互いを認め合いながら

 

信頼しあいながら、

 

尊重しあいながら、

 

生きていけたらいいですよね。

 

 

 

 

不登校の子どもが

 

これからの人生を歩んでいく中で

 

心強い基地となるのではないかな。

 

 

 

そんな家庭にしていきたいですね。

 

 

 

 

ここまでお付き合いいただき

 

ありがとうございました。